10:02PM Prologue アイドルとしての階段を登るたびに「私」の時間が減っていく。 世間が求めているのは如月千早という偶像で、その娘はクールで大人びて隙が無い女の子。でも、私はクールでもなく子供っぽくて油断の塊だったりする。 気にしなければ良いのに、ショックだったのは「如月千早は三浦あずさと仲が悪い」という勝手なイメージが付いてまわったこと アイドルらしからぬ本格的な歌唱力、を武器にしてそれぞれステージに立った者同士の宿命でもある――ついでに体型のコントラストを妬んでいる…という余計な意見もある――から仕方無いか 今更、本当のことも言えないし当分は三浦あずさを敵視している如月千早でいるつもりだけれど 実際は、CDの売り上げ枚数やライブの動員数を競って一喜一憂してない訳ではないが、三浦あずさのCD売り上げの内の1枚やライブ動員数の内の1人は私による成績であるし、逆も然り それ等は競争心が入り混じった敵情視察か、大河の一滴として紛れたファン同士という意味か。 「プライベートで一緒にお出かけしている姿を見かけた」とか「実は同棲しているらしい」とかいう「デマ」や「捏造」もあるらしい。 さて、その真相はというと…… Scene1 「三浦あずさ、世界進出!?ライバル如月千早に先制パンチか?」 主のいない部屋で雑誌を眺めていた 既に知っていることだけれど、手元の記事が言うには、一曲限りだが世界的な交響楽団に招かれてオーケストラをバックにシドニーのホールで歌うそうだ 私が気にしているのは、あずささんではないアイドルの方。インタビューには「悔しくないと言えば嘘になります」と「正直」に答えているけれど… この写真、もう少し歯痒い表情を見せられなかったかしら?とぼやいてみる。返事は無い そんな一人言を呟いていると画面の向こうでは、盛大な拍手に包まれて舞台袖から三浦あずさが現れた。拍手の音につられて私も慌てて視線を上げる。録画はしているけれど、臨場感は味わいたい 彼女は深々とお辞儀して、マイクの前に立った。指揮棒の動きをじっくりと見据えて、バイオリン奏者の重々しい前奏を聞き入れてから、彼女はゆっくりと口を開いた。 「Good Night 一人きり。メイクは落とした素顔、鏡にそっと聞いてみる」 旋律に乗せて語られる言葉が一つ届くたびに詞に込められた物語の世界観が伝わってくる。童話に出てくる魔法使いが呪文の言葉を紡いで私に魔法をかけているみたい。 調度、今の心境と共鳴するような…ちょっぴり切ない魔法だけれど 「会いたい メールも携帯も鳴らない。Tears 泣いてるよ」 きっとあずささんも私と同じ想いを抱いて、三浦あずさをステージに立たせているから……その想いと表情が歌に深い哀愁を彩り、より切ないバラードに仕上げている。 でも、そんな風に純粋に歌の心地良さに浸るなんて、私は油断し過ぎだった。 「好き」 思考回路がショートするには十分過ぎる一言。飲んだ事は無いけれど、酔うというこんな感覚かしら?お酒に酔うのも人なら、人に酔うのも人。案外、近似値なのかも知れない。 お返しに帰ってきたら「あの『好き』は誰に向けられたものだったのですか?」なんて意地悪な質問をしてみよう。お酒よりも酔ってくれると嬉しいな。 「ずっと…」 三浦あずさの歌声が曲の終わりを告げると辺りは静寂に包まれ…一拍置いて歓声と拍手が爆発した。 私も海の向こうまで届くはずがない、と分かりきっているのに、興奮のあまり拍手をさせられてしまった。でも、私の奏でた音だけが夜の闇に吸い込まれてしまったみたいで一人で過ごしてきた時間の寂寥感を増長させた気がする。 Scene2 「私もいつか……こんな風に少し会えないだけでも涙を流しちゃうくらい、強く思い合える恋をしてみたいです」 拍手と歓声の嵐に手を振って応えたと思ったら、よくもあんな嘘を軽々と言ってみせたもの。では、私はあずささんの何なのですか?ただの後輩に過ぎないと?、と言いたくなる。 あ、でも私は三浦あずさの恋人ではないか。そう考えて、抗議の声を意地で飲み込んだ。どうせ届かないのだから虚しいだけだもの。 アイドルに恋人はタブーだけれど、三浦あずさには恋人がいるという噂は関係者の間でよく聞く。共演者からのアピールを避ける為、という説もあるけれど、三浦あずさのお相手は彼女を意識している同業者だって知らない。 文句も少しあるけれど、良いステージだった。世界的な交響楽団をバックにしても全く物怖じしてない。 「ファンの皆さんに恥ずかしくないように…そして、日本のアイドルの素晴らしさを世界中に伝えてきます」とインタビューで答えていたけれど、少なくとも三浦あずさの一番のファンを自負する私には100点満点のステージだった Sランクアイドルだとかアイドル神だとか…三浦あずさを語る上で付く枕詞が決して誇張表現ではない、と一目で分からされる。私を虜にしてしまうスーパーアイドルだと再認識させてくれた ――この人をライバル視だなんて随分身の程知らずなのね、如月千早さん でも、子供っぽくて、天然で抜けている所があって、可愛いらしいそんな姿も私は知っている。 そう、例えば数週間前のこと… 世界中憂鬱を一身に背負ったような表情で帰ってきたと思ったら、あずささんは溜め息混じりでその話を切り出してきた。 「千早ちゃん、来週の日曜日なのだけれど…」 「何かあったのですか?」 「友達の結婚式に呼ばれてしまって…はぁ…」 「おめでたい事では?」 「それはそうだけど…見せつけられちゃうと思うと、少し困ってしまうわ」 「もし、あずささんが泣いて帰ってきたら、私の胸をお借しますよ」 大袈裟に言い過ぎた気もするけれど、いつも甘えているのは私の方なのだから、たまには立場を逆転させたい。可愛がってもらうのも嫌いではないけど (胸なんか無いだろ、と言ってる方。アイドルのプロフィールなんて嘘だらけなんですよ、私たちの関係みたいに…そう、嘘なんですからね!) 「その気持ちだけでも嬉しいけれど…ねぇ、一緒に参加して貰えないかしら?」 「えっ?」 「だって、千早ちゃんが側にいてくれれば見せつけられても悔しくないもの」 言われてからようやく私はあずささんの心理を悟った。要するに、この人は周りに私のことを自慢したくてたまらないのだ。少々、恥ずかしい気もする。それにしても… 「ふふっ…あずささんって意外と子供っぽい所もあるんですね。でも、流石に無理です」 「どうしてもダメ?」 「はい、どうしても」 「……分かってはいたけれど……そうよねぇ……」 「嘘ですね」とは言わなかったけれど、少し拗ねた表情が明らかに諦めきれてない、と物語っている。 よっ…と息を吐いて少し姿勢を正した。あずささんは自分の立場を少し分かっていないのだ。仕方が無いので少し論理的に教育してあげよう。 「はい、今をときめくアイドル三浦あずさが同性愛者で相手が更にその相手が三浦あずさを敵視している如月千早だなんてゴシップ記者が喜ぶだけですから」 三浦あずさと如月千早のメディアへの露出は十分なのだからこれ以上サービスしてあげる必要も無い。噂こそ流布しているけれど、真相に辿り着いている者は事務所の中の…それも極一部しかいないのだから。 「そうね、千早ちゃんに迷惑掛けられないものね」 「済みません。ですが、ご友人の結婚式で出来無いことは帰ってきてからやりましょう」 「ありがとう、千早ちゃん」 「あ、それと……」 「なぁに?」 拗ねた顔も可愛いけれど、この人の笑顔が私は一番好きらしい。もう一段階、気を引き締めてから、世界一似合わない王子様を演じてみせた 「さっきの少し拗ねた顔、凄く可愛かったですよ」 「千早ちゃんったら…大人をからかってはダメよ。めっ!そんな悪い子は暴れん坊アイドルがお仕置きしちゃうわよ…ふふっ」 あずささんがぎゅっと私の体を抱き締め、そこからは私達は子猫のようにじゃれあった。 あずささんのコロコロと変わる表情はとても可愛い、愛しい。この人にだったら叱られる事だって楽しい。 画面の中やステージの上だけの存在なスーパーアイドル三浦あずさとあずささんは見た目こそ亜美と真美の類似点以上にそっくりだけれど、別の人と言っても良い。 Scene3 さて、録画したコンサートを見直してライバルの分析でも……と、操作に悪戦苦闘している時だった。 Prrrrr メールも携帯も今夜は鳴らないものと思っていたから、まるで幽霊に会った時のように驚いた。 発信先はさっきから私の思考を独り占めしているその人、三浦あずさ……それとも、あずささんかな?いずれにせよ、驚愕は一瞬にして歓喜に変わった。一人きりの夜を癒してくれるのが、恋人でも憧れのアイドルでも今の私には贅沢に思えたから。 何て言おうかしら、と一瞬考えたけれど、先程生じた不機嫌さから如月千早さんに代わりに電話を取って貰った。 「はい、もしもし。えぇ…最高のステージでした、ある一点を除いては」 「あら、奇遇ね。私も一つを除いては最高のステージだったと思うわ」 「目の上のたんこぶな先輩にドクダミの花束を渡せなかった事でしょうか」 私の記憶には無いけれど、どうも先週のライブで如月千早は三浦あずさからお小言と彼岸花の花束を頂いたらしい。 私にあるのはあずささんからライブ中にファンに紛れた大歓声、ライブ後にタオルとスポーツドリンク、それから「最高のステージだったわよ〜」という労いの言葉と熱い抱擁を頂いた記憶だけれど 「ふふっ生意気な後輩は辛辣な批評を言いたそうね。そこが物足りなかった気もするわ」 「では、今言わせて頂きます。自分から海外に行った癖に『会いたい』だなんて随分とワガママなんですね。寂しい思いをしていた人もいるのに、よくもあんな風に歌えたものです」 それだけ貴女に餓えていた、という暗喩も込めた嫌味を言ってみる。これが如月千早の三浦あずさの海外公演への評価であり、今の私からあずささんへの想い 「あら、そんな嫌味を言う悪い娘には面と向かってお説教してあげなきゃダメね」 「出来ることなら、今すぐにでもそうして頂きたいくらいです」 「いくら私でも海の向こうまで迷い込むほど方向音痴ではないわ」 スーパーアイドルとの舌戦もなかなか楽しい。けれど、本音を隠したままの会話なんて15の小娘には無理みたいで……欲求を溜めたダムはもう決壊寸前だった。 「でも…」 たったの一週間…。一日の内で短い憩いの時間。あずささんが大好きなありのままの私でいられる大切な時間 それが欠けていただけで自分を保てないだなんて……私はいつからこんなに弱くなってしまったのだろう 以前は歌さえ歌っていれば、それで満たされていた。満たされている、と錯覚させようとしていた。 「でも……寂しかったのは本当ですよ?」 そんな風に私を弱くなった――背伸びしない自分に戻る事が出来た――のは、紛れもなくあずささんの影響……この人の前だからこそ何の背景も持たない15歳の女の子になれる。子供らしく甘える事が出来る。 いつか、舞台の上でも手を取り合える日が来れば良いのに…なんて言うのはわがままかしら? 私の態度がおかしかったせいか「あらあら〜」という笑い声と共に通話相手が変わってしまっていた。 「それは私も同じよ〜。今日のステージも魅力的だったけれど、今は家に帰りたい気持ちが一番だわ〜。だって千早ちゃんにたくさん誉めて貰いたいもの」 メイクを落とすのは私だけじゃないか、あずささんだってステージを降りたら私と5つ違い女の子に過ぎないのだから 年頃の女の子なんだから恋人に甘えたいのだって当然の感情。 「だから明日一番の飛行機で帰ろうと思うの。お土産も沢山買っておいたから楽しみしていてね〜」 「私は明日も夜までレッスンですけどね……はぁ……」 こんな姿はファンには見せられない。ストイックで凛々しい如月千早を期待している方々を裏切る訳にはいかないから でも、プライベートでは身の丈に合った私でいたい……なんて 「とにかく、明日の夜は一週間分あずささんを独り占めさせて頂きますから覚悟していて下さい」 「ふふっ、期待してるわ〜それじゃあ記者会見を受けてくるから切るわね〜」 あ、それからと付け足して 「千早ちゃん、お休みなさ〜い」 シドニーとの時差は1時間程度らしい。まだ私はお休みの時間ではないのだけれど 「はい、お休みなさい」 何気無い挨拶が愛おしかった。 Epilogue TVでは三浦あずさ主演のシャンプーのCMが流れていた。私の恋人のそっくりさんはテレビで見ない日が無いくらいアイドルしている。美人で格好良いし、歌も演技も上手いのだから当たり前か。 『触らせてあーげないっ』と微笑む姿に誘われて私も頬が緩んでしまった。自然に他者の笑顔を引き出せる辺りは流石と言って良い。 それに引き替え、アイドルそっくりの私の恋人は可愛いし、歌も上手だけれど、こんなに危なかっしい人にアイドルさせて良いのか不安になるくらい。 「本当……別人なんですから…」 でも、やっぱり私はスーパーアイドル三浦あずさよりもあずささんの方が好きみたい おまけ(After Episode) 拗ねっぱなしだった一週間も過ぎてみれば、良い思い出になったかも知れない。プロデューサーの組んでくれた予定のお陰(外回りの営業が極端に少なかった)もあるけれど…何はともあれ、パフォーマンスの低下で如月千早の名前に傷を付ける事も無くて良かった。 大好きな人が側にいるのはやっぱり安心する。どんなにアップで画面に映っていても、物理的な距離を思うと逆に寂しさが増してしまうから。 二人、ソファーに寄り添い座りテレビを眺めていたら、例のあずささんそっくりのアイドルが私達に微笑みかけてきた。 「触らせてあ〜げないっ♪」 あずささんは、このそっくりさんを見るたびに恥ずかしそうに顔を潜める。私は、このCMが好きだけれど、今日の彼女の微笑みはそれだけでなく悪戯心を刺激した。 これは一種のセクハラかも知れない。だが、少なくともそうさせるだけの誘惑が目の前にあるのがいけないのだ。 「あずささん、少し良いですか?」 「なぁに?」 小鳥が初めて自分から木の実を啄むかのように恐る恐るだが、狙いを定めてからは一気に本能に身を任せて痴女行為をしてみた。ふわさぁっと長い髪が乱れ、私の指の間を這う。手の動きに素直に従ってくれるような快感がある。 綺麗な髪を視覚で表現すると天使の輪っか(が出来ている)と評するなら、触覚で言えば天使の羽かしら?――極上の感触が私を評論家にした。 「キャッ…!」 「ふふっ…スーパーアイドル三浦あずさの髪に触って良いのは、世界でも私だけ…という優越感に浸りたかったんです」 「髪を触る事は体を重ねるよりずっと後にすべき事」と、真に借りた本に書いてあったけれど…もし、本当なら素知らぬ振りをしてやってみせたのだから、私は大した悪党である。 「もうっ!急にそんな事をされたらびっくりするわ〜。一緒に暮らしてるのだから千早ちゃんも同じシャンプー使ってるでしょう?」 悪戯が見つかった子供みたいにばつが悪そうな顔をしながら、言い訳を考えた。 「それはそうですけど…自分の髪って何だか実感しにくくて」 「ん〜…じゃあ私も自分の髪は実感しにくいから、千早ちゃんの髪に触っても良いかしら〜?」 ――まさか、知っていてそんな事を聞いているんじゃないですよね? 天然とは恐ろしい凶器だ、捕食する側と捕食される側が一瞬にして入れ替わってしまった。 本音を言うと…貴女の思うがままにされて痴態を晒け出したい。けれど、それを口に出すのは流石に恥ずかしいからワンステップ置いてみた。 「ダメです。触らせてあ〜げませんっ♪」 「千早ちゃんってば、意地悪……」 「嘘ですよ、たくさん触って下さい」 「スーパーアイドル如月千早の髪に触って良いのも世界で私だけ…かしら〜?」 Fin