「ただいまー」 仕事を終えて帰宅した私は、玄関のドアを開けながら帰宅のあいさつをする。 「はーい」 すぐに奥の方から返事が返り、同時に足音が近づいてくる。 「お帰りなさい。律子さん」 今日も素敵な微笑みでの出迎えに、笑顔で改めて帰宅のあいさつをする。 「ただいま。あずささん」 プロデューサーとしてなんとかやっていける目途が付いたので、私は実家を出ることにした。 そこで、一人暮らしを始めるにあたってのアドバイスを求めようと、あずささんに相談したところ、 「そ、それでしたら、あの・・・わたしとルームシェアしませんか?」 と、同居を持ちかけられた。 あずささんはアイドルデビューしてから、事務所に通うのに便利な所に引っ越したのだけれど、以前より広い部屋になったのと、 学生時代に比べて日中がずっと賑やかになったので、帰宅後に一人でいると心細さを感じていたとのことだった。 「でも、それだとあずささんが使える部屋が一部屋だけになっちゃうじゃないですか」 「いえいえ〜、今のマンションは以前の所より広いので一部屋で十分なんです。  だから、もう一部屋はほとんど使っていないので何も問題ありませんよ〜」 そう言うことなら、私も部屋を探す手間が省けるし、家賃も節約できる。 交代で家事をすればお互い負担も減るし、一緒に出社すればあずささんが迷子になることも無くなるし・・・ 一石四鳥?でも、うーん、いいのかなぁ・・・ 「律子さん・・わたしなんかと一緒じゃなくて、やっぱり一人の方が良いですか?」 少しの間考え込んでいたら、あずささんが不安そうな表情で私を見ていた。 「いえ、あずささんと一緒が嫌なんて事ありませんよ。ただ、担当アイドルに甘えるような事で良いのかと思って」 「とんでもない。むしろ、わたしの方が今以上に律子さんに甘えてしまいますけど」 「ホントに迷惑じゃありませんか?」 「わたしからお誘いしているんですから、迷惑だなんてことありませんよ」 「うーん・・・じゃあ、お願いできますか?」 「ええ、ぜひ!」 そして、あずささんとの同居生活がスタートした。 「さ、召し上がれ」 「いただきます」 テーブルの上には出来立てのおいしそうな料理の数々。 もちろん今帰宅したばかりの私が作る暇などあるはずも無く、全てあずささん作である。 「ごちそうさまでした。今日も美味しかったです」 「お粗末さまでした。ふふ、いつも残さず食べて貰えてすごく嬉しいです〜」 あずささんはいつもと同じく、輝くような笑顔を向けてくれるが、その笑顔が胸に刺さる。 「あずささん、今まで散々お世話になっておいてなんですけど、あたしやっぱりここを出ようと思うんですけど」 同居する前は、交代で家事をすればお互いの負担が減るなどと考えていたが・・・ 現実は、掃除、洗濯、買い物、炊事と、そのほとんどがあずささんの手によるものである。 「あら〜、またそのお話ですか?」 「だって、あたし家事全然やらずに、あずささんにして貰ってばかりで・・・」 「そんな事気にしないで下さい。わたし一人でもやらなくてはならないことですし、手間もほとんど変わりませんから。  それに、律子さんはわたし達のために遅くまでお仕事して頂いてるんですもの」 「でも・・・」 「プロデューサーのお仕事には、担当アイドルのメンタルケアも含まれるんでしょう?  わたし、律子さんと一緒に暮らすようになってから、毎日がとても充実してるんです。  ほら、これって律子さんのお仕事の成果ですよ。だからそんなこと気になさらないで下さい」 「そうは言っても・・・」 「やっぱりわたしなんかと一緒に暮らすのは嫌なんですね・・・」 「い、いえ、そんなことあるわけ無いじゃないですか」 あずささんがとても悲しそうな表情をするので、慌てて否定する。 実際、同居が嫌なんて事は無くて、家事を全てあずささんに押し付けてしまってるのが嫌なだけだし。 「じゃあ、この話はこれで終わりということで〜」 笑顔に戻ったあずささんにキッパリと終了宣言をされてしまい、今日もまた説得は失敗に終わった。 夜も更けて、そろそろ今日という日も終わる頃、リビングで書類の見直しをしている私の所にあずささんがやって来た。 「あの・・・律子さん。今日もお願いできるかしら」 「ええ、構いませんよ」 「ありがとうございます〜」 いつもと同じやりとりの後、一緒にあずささんの部屋へと向かう。 事の始まりは同居を始めた日に遡る。 同居初日、夕食もお風呂も終わり、自分の部屋で片づけをしていたら、ノックの音と共に、あずささんの声が聞こえてきた。 「律子さん。まだ起きていらっしゃいますか?」 「はい。どうかしましたか?あずささん」 扉を開けると、あずささんが少し不安そうな顔で立っていた。 「あの・・・ちょっとお願いがあるんですけど」 「はい?なんでしょうか」 「ええ・・・と、その・・・わたしと一緒に寝て欲しいんですけど・・・」 「は?」 「あの・・・、今日から一人じゃないと思うとすごく嬉しくて、でも寝るときに一人だといつも以上に寂しくて寝られないんです。  わたし寝つきは良い方なんですけど、今日は全然寝付けなくて・・・、子供みたいで恥ずかしいんですが・・・」 「ああ、そういうことですか。分かりました。あたしで良ければいくらでもお付き合いしますよ」 「ありがとうございます〜」 「あの・・・手をつないでもらっても良いですか?」 ベッドに一緒に横になると、あずささんがちょっと恥ずかしそうに声を掛けてきた。 「ええ、構いませんよ」 「ありがとうございます〜」 手を重ねると、あずささんはホッとした様子で、そっと目を閉じた。 「ああ〜、安心できます。良く眠れそうです〜」 「あずささんが寝るまでこうしてますから」 「あ、あの・・・朝までこうしてて欲しいんですけど・・・ダメですか?」 「へ?あ、いや、あずささんがそうおっしゃるんでしたら朝までご一緒しますけど・・・」 「わがまま言ってすみませんけど、よろしくお願いします」 「いえいえ、あずささんと手をつないで添い寝なんて、あずささんのファンが知ったら血涙モノの役得ですから。  じゃ、電気消しますね」 この時は、あずささんの意外な一面が見られたことにちょっと得した気分だった。 けれど、三日が過ぎ、一週間、一月、そして三か月が過ぎた今も毎晩一緒なのは、さすがにどうなんだろう・・・ おかげで、私の部屋の寝具は引っ越し以来使われることが無く、殆ど新品同様だ。 同じベッドに寝ているので、目覚まし時計が鳴ると当然同時に目が覚めるのだけど、あずささんは朝が弱く、 すぐには起きだせない。 私が先に起きて朝食の準備をと考えるのだけど、私の片腕はあずささんの両腕にしっかりと抱かれているので それも出来ない。 なんとかあずささんの目を覚まさせて二人で起きだすけど、食器を並べた後の私は、することが無くなり、 楽しそうに朝食を作るあずささんを眺めている。 別に私が朝食作りを押し付けているわけじゃなくて、手伝いを申し出たり、私が作ると言ったことも当然ある。 けど・・・ 「ごめんなさい・・・今までお口に合わない料理を無理して食べてくださってたんですね・・・。  全然気付きませんでした・・・やっぱり駄目ですねわたしって・・・」 「わーっ!そんなことありませんて。本当にあずささんの料理は全部美味しかったですよ」 「だって、わたしのお料理じゃ嫌なんですよね?」 「だから違いますって。あずささんの料理はどれも本当においしいですよ。信じてください。  ただ、いつもあずささんにばかり作って貰うのは悪いと思ってるだけですから」 「本当ですか?」 あずささんがうるんだ瞳で私を見る。うわー、すごい罪悪感・・・ 「ホントにホントですから、そんな顔しないで下さいよ」 「ぐす・・・、律子さんがそこまでおっしゃるなら信じます」 ホッ、なんとか納得してくれたか・・・ 「でも、わたしお料理するの大好きなので任せてください。それにお料理を律子さんに食べて貰うのがすごく嬉しいんです〜」 「・・・そうですか」 「じゃ、あずささん。出かけましょうか」 「はい〜」 二人で一緒に事務所へと向かうのも、いつの間にか当たり前になっていた。 「ところで、律子さん。今日は帰りが遅くなるっておっしゃってましたけど、事務所に戻るのも遅いんですか?」 「いえ、事務所には9時くらいには戻れると思いますよ。でも、なんでそんな事気にするんですか?」 「うふふ。9時でしたらお夕飯にはちょっと遅めですけど、お弁当作って行きますので一緒に食べましょう?」 「えっ?そんな悪いですよ、わざわざお弁当作って持って来て貰うなんて。あずささん今日はステージリハだから疲れるじゃないですか。  明日の本番に備えて休んでて下さいよ。それに、小鳥さんと赤羽根さんもいるのに、私だけあずささんのお弁当なんて二人にも悪いし・・・」 「あら〜、でしたらお二人の分も作っていきますね」 あずささんと同居を始めてから分かったんだけど、意外なことにあずささんも何かに拘る事があって、そこは絶対に譲らないのよね。 「・・・はぁ。分かりました。それじゃあ、あずささん。お手数ですけどお弁当お願いしますね」 「律子さんならそうおっしゃって頂けると思ってました〜。やっぱり誰かと一緒に食べる方が美味しいですよね〜」 残業してるところにお弁当作って持って来るなんて、どこのアツアツバカップルよ・・・って、あっそうか! あずささんが家事全般を一人で全部こなして譲らないのは結婚してからの予行練習のつもりなんだ。 もともと運命の人に見つけて貰うためにアイドルになったんだし、そっちを重視するのは当たり前か。 まあ、あずささんならそう遠くないうちに素敵な相手が見つかるだろうし、それまで独り立ちは延期してあずささんに付き合うとしますか。 「あはは、あずささんのお弁当楽しみにしてますね」 「はい〜、期待してて下さいね♪」 普段は誰にも見せない、いつもよりもずっと素敵な笑顔を向けられて、思わずドキッとしてしまう。 近い将来現れるであろう、あずささんの運命の人には悪いけど、折角だからもう暫くこの役得を享受させて貰うとしますか。