「きゃっ」 事務所のドアを開けると、小動物のような声に迎えられた。 少し脅えたような瞳。 「あ、なんだ、千早ちゃんか。びっくりしちゃった」 「こんにちは、萩原さん。驚かせちゃったみたいでごめんなさい」 「そんなことないよ、こんにちは。私こそごめんなさい」 遠慮がちに微笑む萩原さん。私はこの人とユニットを組んでアイドル活動をしている。 お姫様として童話にでも出てきそうな整った顔立ち。名前に相応しい色白な肌、触れたら融けてしまいそうな儚げな雰囲気。 そんな容姿からくるイメージとぴったりな、臆病で内気な性格。私よりも年上のはずだけれど、とてもそうは感じられない。やっぱり小動物のようだ。 「千早ちゃん?」 彼女を眺めて物思いに耽っていると、不安げな声。彼女の顔に焦点を合わせ直すと、目が合う。 私の顔色を伺う瞳。主人に忠実な子犬のよう。 いい目だ。私は萩原さんの犬のような瞳が好きだった。 萩原さんは気弱だけれど、真面目だし努力家だ。私も努力を怠らず、その結果として私たちのユニットはそれなりに順調に階段を登っている。 オーディションは競争。自分が上に行くために他の誰かを蹴落としていく。そうでなくてもこの世界は生き残るだけでも競争だ。 私は特別人を蹴落とすことが好きというわけではないけれど、自分が生きていくために必要なことならば仕方がないと割り切れる。 やましいことをしているわけではないし、良心の呵責を感じる必要はない。ここがそういう世界だということは相手も納得しているはずだ。 けれど萩原さんはそうではないようだ。オーディションの後、彼女はいつも罪悪感に苛まれている。 今日もそうだ。私たちはオーディションに勝利したのだけれど、萩原さんにそのことを喜ぶ様子はなく、とても悲しそうだった。 宙を彷徨う弱々しい目を私は眺める。透き通った瞳からは今にも涙が流れ出しそう。 「萩原さん」 声をかけるとその目がこちらを向く。何かに許しを乞うような瞳と私の目が合う。 背筋がぞくぞくするような愉悦を覚える。 歌う機会を得るためだけに始めたはずの、必ずしも全て望み通りというわけではないアイドル活動。私が努力できているのは、この萩原さんの目を見るためなのかもしれない。 アイドルのライブとは、つまり人前で踊りながら歌うこと。肉体的にも精神的にも過酷な行為。 最初の頃はいつも本番前に逃げ出しそうになり、ステージに上がっても途中で息切れし目線が下向きになってしまっていた萩原さん。 それでも今ではもうしっかりと前を向いて最後まで踊れるようになっている。やっぱり彼女は努力家だ。 今日のライブも無事に成功できたと思う。スタッフの人たちは一足先に撤収してしまい、楽屋には私たちだけが残されている。ようやく緊張と高揚感が解けて、満足感の余韻に浸る。 ゆっくりと息を吐く。 「千早ちゃん」 声をかけられて振り向くと、 「ごめんね」 両手で胸を突き飛ばされた。 体力に自信がある私にとってもライブの疲労は重いものだったらしい。足に力が入らなかった私は、不意の一撃に堪えられず後ろにあったソファに倒れ込んだ。 仰向けに転がった私の身体。その両側に手をついた萩原さんが私の顔をじっと見つめている。 目と目が合う。 透き通った瞳に吸い込まれる。目を逸らせない。身体が動かない。 その瞳にすっかり支配されてしまったような気がした。私は何もできない。それなのにそのことをとても心地よく感じている自分がいる。 琥珀色の瞳が、雪のように白い顔が、そして唇が近付いてくる。 確かに近付いているはずなのに。 まだ触れない。 いつまで待てば良いのだろう。 まるでお預けをされたよう。 萩原さんの瞳に映った私の瞳。ようやく気付いた。本当に犬だったのは――