冬休みに入ったばかりの寒い寒い夜。月も凍りついちゃったみたいな空の下を歩いて事務所に帰ってきたら、千早ちゃんが泣いていた。 階段を上ってくる途中で、千早ちゃんのプロデューサーさんとすれ違った。辛そうな顔をしていた。だから、そういうことなのだろう。 顔を覆っている大好きな友だちのところまで歩いていって、そっと抱きしめた。 その日は泣きやまない千早ちゃんを家まで送って、そのまま泊まった。 当たり前だけどベッドは一つしかない。千早ちゃんの頭を胸に抱きしめて寝た。借りもののパジャマはびしょ濡れになった。 目が覚めた。千早ちゃんは泣き疲れたのかまだ眠っている、痛いくらいきつく私に抱きついて。寝顔は見えないけど想像するのは簡単だ。これじゃあ私動けないよ。 まだ暗い部屋を首だけ回して見渡す。殺風景な千早ちゃんの部屋。さびしい部屋。ひとりぼっちの、部屋。 しばらくしてぐしゃぐしゃになった顔を私の胸から起こした千早ちゃんは顔を洗って私に戸締まり用の鍵を渡して、こんなときでも仕事に行った。鍵は明日返してくれればいいと言って。 私はオフ。家に帰って荷物をまとめて、千早ちゃんの家に帰ってくる。泣き腫らした顔で帰ってきた親友に告げる。 「今日から一緒に暮らそうね」 少しだけ笑ってくれた。冗談だと思ったのかもしれないけど。 人生はじめて家族と離れての、二人暮らしが始まった。私は必ず千早ちゃんより先に帰って、家で待っているようにした。がんばってスケジュールも調整した。…まあ私は千早ちゃんほど売れっ子じゃないからできたんだけど。腕によりをかけた晩ごはんで、千早ちゃんを出迎える。 オフの日も千早ちゃんと合わせてもらった。私のほうがオフは多いんだからなんとかなる。 千早ちゃんはオフの日はほとんど外には出ず、ベッドに腰掛けて窓の外を眺めていることが多かった。そういうときは私も横に腰掛けて、一緒に外を眺める。会話なんてない。ただ手をつないでいるだけ。千早ちゃんは危なっかしくて、目を離したら、手を離したらいなくなってしまいそうで、とっても怖かった。でもそんなこと私がさせない。つないだ手の上に、もう一つの手も重ねた。 あの日からも千早ちゃんは今まで通り、いやそれ以上に熱心に仕事に励んでいる。プロデューサーさんと一緒に。千早ちゃんは一度も泣き言なんて吐かなかった。いくらだって聞いてあげるのに。 でもベッドに入るといつも、張りつめた糸が切れたみたいにはらはらと涙を流した。寝るときはいつも最初の夜と同じ。一つのベッドで、千早ちゃんは私の胸に顔をうずめて。ときどき震える身体を、そっと抱きしめながら。頭と背中をなでながら。 月日が経つにつれて、千早ちゃんが泣くことも少なくなってきた。オフの日も外に出るようになった。私と一緒に。一緒にケーキを食べに行けば、幸せそうな笑顔を見せてくれる。何の憂いもない100%の笑顔。 最近ますます体重が怪しくなってきた私は羨ましくてこっそり溜め息。でももちろん嬉しい。今度は私が作ってあげようかな、いや作り方を教えてあげながら一緒に作ったほうがもっと幸せかな? すっかり泣かなくなった千早ちゃんだけど、今度はどこか憂いを帯びたような表情が増えた。そんな千早ちゃんはいつにも増して綺麗で、思わず見とれてしまう。私の視線に気がつくと千早ちゃんは顔を逸らしてしまう。もっと見ていたいのに。 その逆に並んで座っているとき、頬に視線を感じることがある。気づいてそっちを向くと、やっぱり目を逸らしてしまう。最近千早ちゃんは目を合わせてくれない。 でも寝るときは相変わらず。たまに先に起きると、やわらかくてとても幸せそうな顔の千早ちゃんを見れる。私も幸せになれる。 珍しく仕事が延びてしまった秋の終わりの夜。イヤホンを両耳にさしてさびしそうな顔で膝を抱えていた千早ちゃんは、私が帰ってきたことに気づくと一瞬泣きそうな顔をして、そのあととても嬉しそうな顔をした。 千早ちゃんがフラれて一年、つまり私と千早ちゃんが一緒に住み始めて一年の記念日。私が家に帰ると、きりっとした顔の千早ちゃんが待っていた。おー、かっこいい。 千早ちゃんと見つめあうのも久しぶり。綺麗な唇が震えたあと、ゆっくり開かれる。 「春香のことが好き」 私も千早ちゃんのことは大好きだよ、ってそういう「好き」じゃないよね。 はて困った。私はいわゆるノーマルだ。初恋だって今まで好きになった人だってみんな男の人。千早ちゃんは女の子。私と同じ女の子。そういう趣味はない。というか千早ちゃんもそうだったはずじゃ…プロデューサーさんは男の人だし。 …でもまあ、千早ちゃんならいいかな。 かっこいい顔はどこへやら今にも泣きそうな顔をしている大好きな女の子には、返事の代わりに私のファーストキスをプレゼント。 なんと今ならもれなく私もついてきます。末永く大事にしてね?