本格的な夏がやってきた日の昼下がり。 ビジネス街の大通りはタクシーや営業車が行き交い、歩道ではスーツのジャケットを手に持ったビジネスマンが汗を拭いながら歩いている。 お役所やアパレル業界がいくらクールビスを持ち上げても、スーツとネクタイを手放せない人々は結構いるらしい。 「次は何をお聴きになりますか?」 かけていたCDの再生が終わり、運転手が聞く。 「ん……思いつかない」 「ラジオにしますか?」 「いいわ、たまには静かなのもいいでしょ」 「かしこまりました」 この街に中学の制服姿の自分は似つかわしくない。しかも運転手付きの車なんか乗って。 それでも、忙しいパパが時間を遣り繰りして娘をランチに誘ってくれたのだから、断れる訳がない。 懇意にしているというイタリアンレストランの料理は普通だったけど、食後の新作デザートについて、 いかにも無理して覚えたという感じで所々怪しい蘊蓄を語りながら一生懸命勧めてくれるパパはちょっと可愛かったし、 なかなか会えない娘を気に掛けてくれているのはよく分かった。だけど、それでも。 ――退屈。 頭の中でそんな言葉がふっと浮かんでしまう。 小学生くらいまでは兄様たちもまだ家にいたし、パパやママに色んな物を与えられ可愛がられて、 学校が終われば毎日のようにお稽古事に行って、という日常はそれなりに楽しく充実していると感じていた。 だけど中学になった頃から、兄様たちは海外に居を移してしまったし、自立心を重視するといううちの教育方針で、 パパやママは私にある程度の自由を与える代わりに、猫可愛がりはしなくなった(それでもこうやって娘との時間を持つよう努力してくれてはいるが)。 お稽古事も続けてはいるけど、もうある程度年数をやっているものばかりで新鮮味はなく、 特に嫌でもなく面白いとも思わない毎日の予定の一つ、というだけになっている。 自分は何がしたいのか。楽しいことって何? 最近はそんなことばかり考えてしまう。 交差点で赤信号になり、車が停まる。 窓の外には相変わらず、炎天下うんざりしたようにハンカチや扇子を使うビジネスマンや、 銀行へお使いにでも行くのか日傘を差した制服姿のOLが足早に歩いていく。 それらをぼんやりと眺めていると、すーっと車の横に自転車が停まった。 今日の空のような鮮やかなブルーのフレームのフラットバーロード。 それとは対照的に、黒とライトグレーのモノトーンで揃えたサイクルジャージとヘルメット。 背中に斜めがけにしている大きなメッセンジャーバッグはフレームと同じブルー。 その自転車の乗り手はフレームに取り付けられたボトルを手に取って、ごくごくと飲む。 ドリンクが通過するのに合わせて動く喉元を、幾筋も汗が滴り落ちている。 メッセンジャーバッグとの対比で結構小柄な人だ、と思い横顔に視線を移す。 ヘルメットにほとんど隠れるくらいのショートヘアと、涼しい目元。 ――え……? 一瞬感じた違和感を確かめるようにもう一度、顔と体全体をよく見てみる。 間違いない。自転車の主は女性で、しかも私より少し年上な位の少女だった。 しばらく見ているとその少女は私の視線を感じたのか、不意にこちらを向いた。 まずい。目が合ってしまった。 じろじろ見ていたのが恥ずかしくて、慌てて目を逸らそうとしたその時、 ――!! 少女はまるで親しい友人を見つけたように、私に向かってニコッと微笑んだ。 同時に信号が青に変わり、前に向き直るとペダルを踏む。 ブルーの自転車はみるみる加速し、まだもたもたと進まない車の列を置いてあっという間に離れ小さくなっていった。 「女の子のメッセンジャーとは珍しいですな」 やっと列が動き出し、運転手が車を発進させながら呟く。 「やっぱり、女性にはきつい仕事なのかしら」 「そうでしょうね。女性のメッセンジャーも全くいない訳ではないらしいですが。  体力的にきつい割りに収入はそれ程良くないので、男性でも自転車が好きでないと続かないと聞きます。  事故の危険もありますし、雨の日も風の日も、ですからね」 「そう……」 あの子も、土砂降りの雨の中走ったり、時は転んだりしているのだろうか。 それでも、あの青空を飛ぶツバメのような姿は、何にも代え難い自由を謳歌しているように思えた。 それは私が得ている自由と、どう違うのだろう。 * * * たぶん続く