――千早さんたら、ほんとによく眠ってるの。 夜明け前、まだ薄暗い部屋の中。ベッドで幸せそうに眠る少女、如月千早の頬を手のひらでゆっくりと撫でながら、星井美希は思う。 彼女よりも早くに目が覚めてしまった美希は、気付かれないようにそっとベッドを抜け出し、床に投げ捨ててあった下着を身につけていた。 いくら最近マシになってきたとはいえ、朝はやっぱり冷える。千早に抱きついて二度寝するということも考えたし、事実それは今も 根強く美希の心の中にあった。 なんとはなしに千早に目をやると、少し寝苦しそうにしていたのだ。千早の脇に手をつき、軽く覆いかぶさるようにして四つん這いになる。 己の右手を千早の右頬に添え、ゆっくりと親指だけで頬を撫でる。すると、千早はまるで急に呼吸が出来るようになったかのように深く一つ息を吐き、 元のように穏やかな表情を浮かべて眠り始めた。 ――眠り姫、なの。 美希は最近発売になった彼女の最新シングルのタイトルを浮かべた。 眠り姫。今目の前で眠る如月千早はその名に相応しい様子で、ベッドに横になっていた。 ――昨日の夜、頑張りすぎちゃったかも。今日のお仕事大丈夫かな。 千早のスケジュールは完ぺきに頭に入っている。しかし自分のスケジュールはまた別だ。千早に合わせてスケジュールを組むようになって、もうどれくらいになるだろうか。 最近はプロデューサーも何も言わなくなった。寧ろ、 「それでお前が成長出来るならもう何も言わない」 とか。お墨付きが出て以来、殆ど同棲状態の美希と千早であった。もっと言うならば、美希に押し負けてずるずると同棲状態が続いているが、 満更でもない千早とそこを見ぬいて居着いている美希、という構図である。 ――しっかし千早さんってば、おっぱい小さいの。 ゆっくりと呼吸に合わせて上下する胸を見て思う。小さい。本人は気にしているが、全然問題ない、と美希は考えている。 ――まぁでも、千早さんの胸があずさみたいになってたら、ちょっとヤかも。 そんな他愛ないことを思いながらも、千早の頬をゆっくりと撫でる手の動きは止まらない。 実は今までにもこんなことは何度かあった。千早は眠りが深い。普段の千早はどちらかと言えば渋い顔をしていることが多い。 それは彼女の歌に対する真剣さを表していると同時に、彼女がそれだけ日々体力と神経を使って生きていることの証でもあった。 そのため、笑顔が足りないと評されることも多い彼女である。ではあるが。 ――でも、千早さんの"この顔"を知ってるのは美希だけ。 ほんの少しだが、しかしはっきりと分かるほどの優越感。美希は、千早のそういう部分を知るのが何よりも好きだった。 揺れる髪、くねる肢体、挙がる声、触れ合う肌、違う匂い。如月千早という存在の、生。 そうさせたのが自分だと、それを感じることが出来るのが自分だけだと、そう思うだけで、滾った。今も、そう。 きゅ。 左手でシーツを掴み、自制する。目を伏せて、まぶたを震わせる。ゆっくりと息を吐き、吸う。意識して繰り返す。 ――危なかったの。流石千早さんなの。マジで魔性の女なの…。 気を抜くと今にも千早の寝顔を両手で包み込んでキスしてしまいそうだった。そうしてふと気づけば、さっきよりも距離が近い。 ごくり。 ――少しくらいなら、バレないよね。 そうして、ほんの少しだけ。軽く、彼女の見る泡沫の夢を壊さないように。 「んっ…」 「えっ」 「……美希…?顔が…近いわよ…」 「あっ、ごごごごめんなさいっ。起こすつもりは無かったの、ほんとだよ!」 慌てて謝る。さっきまで身体の中に渦巻いていた熱はきれいさっぱり無くなっていた。 「何を言っているの…?ふぁ…」 目をこすりながら、千早が体を起こす。 ふと、あることに気づく。 「えへへ…」 「何がおかしいの、美希?」 「ううん、何でもないよ。ただ、千早さんは眠り姫なんだなって」 「私はお姫様の柄じゃないわよ。…胸だってないし…」 「違うの、そうじゃないよ。とにかく、美希的には、千早さんがお姫様なの!」 「よく分からないけど…。ふふっ、たまにはそういうのも面白いかしら」 「だよねだよね!今度そういう仕事がないか、プロデューサーに聞いてみるの!」 「私と美希の二人でやるの?私達歌のカラーとかも全然違うから、案外面白くなりそうね」 「でしょ!ところで千早さん、今日はどんなスケジュール?」 「そうね、今日は確か…」 仕事の確認をしながら、今日はいつ時間がとれるか相談する。 ごく自然に千早の手を取とって歩き出す美希。 リビングへと続く扉は半開きになっており、そこからゆっくりと朝陽が差し込んでいる。 今日は良い日になるに違いない。出し抜けに、確信した。