となりの席の星井さんは入学初日に流血事件を起こして以来、一度も学校に来ていない。  ミウラバッティングセンター。 「あの、私、秋月と申しますが……星井さんは」 「あら、ミキちゃん? それなら――――」  奥でゴッと重い音がした後に、こちらに人が飛んできた。 「あんたのせいでマルコは死んだの!!」 「美希ちゃん、店の中で暴れないでね〜」  美希ちゃん?  のんびりとした女性は目の前の金髪ロングヘアーの女の子に向けて言っている。  こいつが、あの星井美希。 「だってあずさ、そいつがぶつかってくるから!   もうちょっとでクリアだったのに!!」 「マルコの死は他の誰でもない美希ちゃんのせいよ。  それよりも、美希ちゃんにお客さんよ」 「あ?」  彼女は私を見て、ゾッとしたような、なんとも言えない顔をして、  そしてすぐさま窓をガッと開いて逃げるように飛び降りた。 (……ここ、確か三階よね)  しばらくしてからハッとして我に返った。  こんな事をしてる場合ではない。 「すみません、コレ届けるように言われたんですが」 「あら〜、わざわざありがとうございます〜」  これが私、秋月律子と星井美希との出会いだった。  一月前、彼女が上級生三人を病院送りにした現場には  今もなお凄惨な事件の爪痕がくっきりと残っている。  かして彼女は登校1日目にして停学となったわけだ。  私にはどうでもよいことだった。  私には夢がある。  その目標を達成するため、目下私の興味の対象は『微分積分』  それ以外のことはすべてスルー。  他人に構うヒマなどない  と、思っていたはずなんだけど。  なんだコレ。  私は今、星井美希に押し倒されている。  え、えーと  店を出たら草むらから星井さんが飛び出してきてタックルされて、  そして今、ケモノのような目で私を睨み付けている。 「……また、学校の回しもの?」 「は?」 「とぼけないでよ!」  星井美希はギリッと私の手首を締めた。 「い、痛い痛い! プリント届けにきただけよ」 「……プリント?」 「うん、プリント」 「嘘じゃない? 嘘だったら……」  ぶんぶんと全力で首を横に振る。 「ふん、てっきりまたあの女教師みたいに『学校に来い』とか言うのかと思ったの。  プリントか……」  ヤバイ。とにかくヤバイ。今のうちに逃げよう。 「ねえ」  声をかけられ、体がビクッと震える。 「……ねえ、名前は?」 「あ、秋月律子です」 「ふーん、律子か」 「?」 「こ、これってあれだよね。  風邪とかで休んだ人に友達がプリント届けてくれる……っていう」  星井さんはテレテレと恥ずかしそうに頭を掻いて言う。 「あ、ミキのことはミキって呼んでね!  と、『友達』なんだから」  は? 「じゃあまたね! 律子!!」 (…………とりあえず帰ってもいいのよね)  しばらく歩いてからくるっと振り返ると星井さんはブンブンと腕を振ってきた。  『不可解』『なんかコワイ』  彼女の印象はそれに尽きた。  なにはともあれ。 「約束ですよ、小鳥先生。お使いしたら参考書買ってくれるって。  ハイ領収書」 「キャー、ありがとー秋月さん!  星井さん、あたしじゃ会ってくれなくて困ってたのよー」  小鳥先生は領収書を受け取り、金額を見てゲッこんなに!? と小さな悲鳴をあげた。 「でも意外と可愛い子だったでしょ、彼女」 「うわさにたがわぬ怖い人でしたよ!!」 「や、やっぱりなんかあった!?」  やっぱり? 「……友達認定されました」 「ええっ!? すごーい!じゃ、じゃあ彼女に学校に来るように説得してくれない!?」 「説得?」 「星井さんねー、とっくに停学解けてるのよ。  いきすぎた所はあったとはいえ非があったのは上級生のほうだし、  それを有無言わず停学処分しちゃったもんだから、そーとー不信感  持たれちゃってるみたいでね――」  なるほど、それで『学校の回しもの』か。 「それで不登校ってのも寝覚めが悪いじゃない。ねっ秋月さん、お願い」 「嫌です」  私はにこやかに返事をした。 「なっなんで!?こんなに困ってるのに!!」 「私には関係ありません」 「じゃあ、あたしに行けっていうの!?」 「それが教師の仕事でしょ。ちゃんと仕事してください、小鳥先生」 「ブリザード! 超ブリザード!!」  冗談じゃない。  あんなの、二度と関わってたまるか。  ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●  ミウラバッティングセンター。  ボールがバッドを擦ることなく通り過ぎ、スカッと間の抜けた音だけが続いていく。 (あったんない〜〜〜っ!!  というかなんで私がこんなことしなきゃなんないのよ……。  やっぱり、来なきゃよかった) 「ったくつまんないー。美希の奴、最近全然金出さないし」  この声どこかで聞いた気が。  私はここ近くから見える窓から話してる人達を覗く。  ゲッ。  この間ファーストフード店で星井さんからお金借りてた女の子達だ。 「ハハハ、じゃあもう意味なくね」 「いいお財布見つけたと思ったのにな――」 (…………………………っ)  ほらね。  だから言ったじゃない。  バカな奴。  私は角度計算と調整をを繰り返し、バッドを振っていく。  そして四度目。  見事バッドとボールが、 (あたった!!)  邂逅。  カキーンと気持ちいい快音を奏でた。  腕に伝わるその衝撃と共に満足感に浸りながら、ふぅっと視線を横にずらすと、  あの近くの窓の下で星井さんが座り込んでいた。 (ほ、星井さん……!! いつからそこに!?)  さっきのを話を聞いていたんだろう、  星井さんの表情は―― (……なんだ。コイツも人並みの感覚持ってるんだ。  まあ、どうでもいいけど)  関係ない。私には関係ない。  ……もう、店を出よう。  ギャハハと下品な声をあげている、あの連中の横を通り過ぎる。 (……今日の私はどうかしている)  私は連中の前で立ち止まった。 「なによ」 (ああ、本当に、なんで私がこんなこと) 「あ、こいつ、こないだ美希が連れてた女」 (でも、あんな……あんな顔見ちゃったら)   「ほ、星井さんは……あなたたちのことを友達だと思ってるから。  だから!  も、もし、あなたたちもそう思ってるんだったら、  彼女ともっと誠実に付き合ってあげてください」 「……なに、こいつ」  私の近くに居た一人の子が、私に腕を伸ばしてきて――  目を瞑ろうとした瞬間、  その腕を星井美希が止めた。 「み、美希!? ……うわっ!」  星井さんがぐいっと片手でその女の子を持ち上げた。 「……おまえら、今日は帰れ」 夕暮れの帰り道。  星井さんは黙って私を送ってくれた。  黙々と私は階段を上っていく。  はあ、別に送ってくれなくていいのに。  ふと思い、振り返ると星井さんはぽろぽろと涙を流していた。 「な……なにも泣くことないでしょ!?」 「ち、違うのっ。なんか、嬉しくて……」  何故だろう。  ウサギのミミが死んでも涙ひとつ出なかった私が  その時彼女の顔を見ていたら  なんだか  泣きそうになってしまって  自然と私は星井さんを抱きしめていた。  彼女から流れる涙は、なんて純粋な涙なんだろう。 「……大丈夫だよ」  こんなにきれいな涙を、 「今に美希のまわりは、たくさん人であふれるから」  私は流したことがあるだろうか。 「律子がいるなら、学校行ってみてもいい」 「ハハ、そりゃよかった」  突然美希がズズっと顔を近づけてきた。 「なんか、ドキドキする……」 「は?」 「ミキ……律子が好きかも」 「えっ、そ、それは友達的な意味で?」 「ううん、性的な意味で」 「!!」  うららかな春の日。  私は生まれて初めての告白をされた。 「――ち、ちょっと待って!!  そ、それってたぶん刷り込みというか。  他に友達いないから勘違いしてるんだと思う」 「え?」  そう言うと、美希は一時停止した。 「じゃあミキに友達できてからだったらいいの?」 (あ、自分でもそう思ったんだ) 「…………わかったよ。でもたぶん変わんないよ」  美希はふんっといじけてから、少し儚げな声で言った。 「ミキはきっと、律子のことが好きだよ」 「だって律子、よくわかんないけど勉強が大事なんでしょ?  律子の大事なものはミキも大事にするの」 (……なるほど。『大事にする』ってそういうことかも。  …………――そうか。私。今。『大事に』されているのか)  ちゅっ。  突然に美希がく、口づけをし、して――!? 「ドキドキしない」  え? 「あれー? なんでだろ?  こないだも思ったんだけど、ミキ、全然律子にときめかないの」 「…………は………………?」 「なんでだろー。まえはあんなにドキドキしたのに。  あはっ、でも律子のことは大好きなのっ!」  ええええええええええ!? 「アナタ…………  まえに私を好きだと言ってましたが」 「うん、好きだよ律子」 「それは、恋愛感情?」 「……うんっとねー、ヤれと言われればヤれるの」  な に そ れ。