『二人きりの誕生日』 夏の夜、湿気と熱気の残るジメジメとした夜道を彼女は歩く ふと携帯を取り出すと時刻は既に22時を回っていた そして時刻の隣に映る表示 8月29日 彼女にとって特別な日 彼女が生まれた日 しかし今は何の感慨も湧かない 今日もいつも通り、仕事の一日が過ぎただけだ まだ駆け出しのアイドルだった頃 誰かの誕生日が来る度にお祝いパーティをしていたあの頃 いつか絶対トップアイドルになろうとみんなで誓い合っていたあの頃 けれど、いざアイドルとして大成した今では無性にあの頃が恋しくなる みんな忙しく働くようになって、仲間たちが揃うことは滅多に無くなった 自分たちの絆が消えたとは思わない でも、やっぱり寂しいと思う気持ちは隠せない そして何より、『彼女』に会えないこと いつも隣にいてくれた いつも支えてくれた 共に励まし合った 『彼女』 本当に大切なものは失ってから気付くという言葉があるけれど 自分にとって『彼女』がここまで大きな存在であったことを自覚したのは、つい最近のことだ 『彼女』の声が聞きたい 『彼女』の笑顔が見たい 『彼女』と他愛もないありふれた会話がしたい レッスンしてる時も、仕事をしている時も、寝る時でさえ、そんなことを考えている自分がいる 情けない、と彼女は自嘲する 「まるで子供だね、ボク」 このまま時間が過ぎて、いつかこんな気持ちも薄れて、忘れてしまうんだろうか みんなとの、『彼女』との思い出も、いつかは風化して取るに足らないものになってしまうんだろうか 怖い 心中によぎった漠然とした不安 それを誤魔化すかのように、彼女は背負った荷物を担ぎ直し、事務所へと速足で歩を進めた   ―――――――――――――――――― 遠目に事務所が見えて来る しかし、そこに明かりは無い みんな帰ってしまって、最近は妄想する暇も無い事務員が事務所を閉めてしまったんだろうか 少しでも、心の中で淡い期待を抱いていた自分が馬鹿らしかった 時刻は22時半を回っている 残り1時間半、などと未練がましく考えている自分が浅ましい 今日、18歳になった もう、大人にならないといけない そう自分に言い聞かせた 胸の奥で騒いでいる寂しさが彼女の喉を鳴らした   ――――――――――――――――――    「(荷物を置いて早く帰ろう…)」 階段を昇りながら彼女は自分自身と戦っていた ここに、事務所にいると、どうしてもみんなのことを思い出してしまう 呼吸が荒れ、今にも涙が溢れそうになる きっと今の自分の目は真っ赤なんだろう 何が王子様だと、彼女は思った 扉の前に立つ 鍵を回す カチャリと、音が響く 扉を、開ける パァン! 突然の破裂音 そして照明 目が、眩む 「真ちゃん、お誕生日おめでとう!」 『彼女』が、いた 「ゆき…ほ…?」 最高の笑顔で、『彼女』、雪歩が出迎えた 「えへへっ、どうかな、驚いたかな?」 クラッカーを手にニコニコしている雪歩を前に、彼女、真は呆然となる 一瞬の思考停止 「雪歩…どうして…?」 「どうしても何もないよ  お祝い、だよ」 「お祝いって…こんな時間に…?」 「うん、プロデューサーには反対されたんだけどね  私だけでもって、お願いして許してもらったんだ」 そう言って雪歩は照れたようにはにかんだ 目の前にいる待ち焦がれた彼女の姿に、抱え込んでいた想いが溢れ出す 背負っていた荷物を無造作に床に放り出し。雪歩へ近づく 「? 真ちゃん?  どうしたの?」 もう我慢が効かない ギュっと、強く、抱きしめた 「ま、真ちゃん!?」 突然の出来事に雪歩の驚きと恥じらいが混じった声色 「…急に、ゴメンね…  でも……」 理性が警告を発する 言ってはいけない 知られたくない 自分が、こんな弱い人間なのだと 雪歩を困らせたくない しかし、限界だった 「寂しかった…」 絞り出すように、言葉を吐き出した 「真ちゃん…?」 「ずっと、会いたかった…  側に、いて欲しかった…」 言ってしまった 今、雪歩はどんな顔をしているのだろう こんなみっともない自分に幻滅しているのだろうか それともどうしていいかわからず困惑しているのだろうか 溢れてきた涙で、視界がボヤける 「…………」 雪歩は答えない 「…ごめんね…こんなこと言って…  ボク、わがままで、情けないよね…」 「……ううん……そんなこと、ないよ」 「…?」 雪歩の腕が、真の背へと回る 予想外の行動に真は少し動揺した 「ゆ、雪歩…?」 「私も、真ちゃんとおんなじ…」 「えっ…?」 雪歩の手が、真の背を強く圧迫する 「私も…寂しかった…」 見ると雪歩の目にもまた、涙が滲んでいた 「本当はね、ここにいるの、ただ真ちゃんに会いたかっただけなんだ…」 「…………」 言葉が出ない 思考が追いついていない 「真ちゃんがいない日々が続いて、何だか怖くなって…  あんなに一緒だったのに、このまま真ちゃんのこと…忘れちゃうんじゃないかって…  そう思ったら、どうしても会いたくなっちゃって…」 その声は少し震え、掠れていた 「それで、プロデューサーに無理を言ったの  真ちゃんの誕生日をお祝いしたいって…  ただ、真ちゃんに…会いたくて」 「そう、なんだ…」 「うん…だから、おあいこだよ」 そう言って雪歩はまた涙を浮かべながらはにかんだ その顔を見て、肩の力がスッと抜ける 「そっか…おあいこか…」 求めていた彼女 求められていた自分 パズルのピースが組み合わさったかのような、しっくりとした感触 安心 その感覚が真の心を満たしていく 「ねえ、雪歩」 「なあに?」 「もう少しだけ、このままでいていいかな?」 腕にそっと力を込め、今度は優しく抱きしめる 「雪歩の温もりを、感じていたいんだ」 「…うん、私も…だよ…」 そのまま、二人は再び抱き合った 時を刻む針の音と、体を通して感じる互いの鼓動と体温だけの世界 二人の世界 「……真ちゃん」 「ん?」 「お誕生日、おめでとう」 「…うん、ありがとう、雪歩」 生まれて来たことを、これほど感謝する日はもう無いのだろうなと、真は思うのだった   ―――――――――――――――――― 「誕生日、終わっちゃったね」 「うん…」 何十分ああしていたのだろう いつの間にか日付が変わってしまっていた 雪歩が買ってきてくれていたショートケーキを口にしながら 真は先程までの自分を思い返し、我ながら恥ずかしいことを言っていたものだと顔を熱くする 「終電も無くなっちゃったし…どうしよう真ちゃん?」 一方雪歩は何事も無かったかのように真に接している その切り替えの早さを見習いたいものだと真は思った 「う〜ん…ボクは走って帰るって手もあるけど…  雪歩を一人で帰らせる訳にもいかないからね…」 「私は別に大丈夫だよ?」 「ダメだよ!  雪歩はか弱い女の子なんだから、一人で夜道を歩くなんて絶対ダメ!」 「じゃあ、どうするの?」 「…………どうしようか」 しばらくの沈黙 「……ねえ、真ちゃん」 沈黙を破ったのは雪歩だった 何か妙案でも思いついたのだろうか 「事務所に泊まっちゃおうか?」 イタズラを思いついたような少し含みのある笑みで雪歩はそう提案した 「えぇ!?」 その提案に一瞬驚くが冷静に考えれば一番現実的で安全な選択肢なのは明瞭だ むしろこれ以上最良の選択肢は存在しないだろう 「どうせ今日も朝からお仕事なんだし、泊まっちゃった方が楽だよきっと」 「そ、それはそうだけど…」 「せっかく仮眠室だってあるんだし、ね?」 雪歩の意味ありげな笑み その真意を読み解くのは至極簡単なことだ そう、なぜなら 「…でも、仮眠室ってベッド一つしか無いよね…」 つまりそういうことだ 「私は気にしないよ?」 「ボクが気にするの!  泊まるのはいいとして、ボクはソファで寝るからさ」 「ダメ!そんなのじゃ疲れがとれないでしょ!」 「そんなこと言われても…」 ついさっきまで散々甘えておきながら今更とは思うが 気持ちが落ち着くとやはり気恥しさを覚えるものだ 「…私と一緒じゃ、嫌、かな?」 そう言って上目遣いで真を見上げる雪歩 雪歩はズルイ、と真はいつも思う 大人しそうな外見とは裏腹に、雪歩はとても我が強い子だ 普段はオドオドしていることも多いが、一度腹を決めると一直線で絶対に譲らない そして、今のように人を誘惑する小悪魔のような一面も持ち合わせている その誘惑を、自分が断れないことも、わかっていてやっているのだ 「嫌…じゃない、よ…」 雪歩には一生頭が上がらないんだろうなと、真は心の中で溜息を吐くのだった   ―――――――――――――――――― 「真ちゃん、どうしてそっぽ向くの?」 「だって…恥ずかしいし…」 結局こうなってしまった 元々一人用の仮設ベッドなので、やはり二人で寝るには狭い 体がほぼ密着するような状態で二人は横になっていた 「さっきはあんなに抱きしめてくれたのに」 「そ、それとこれとは話が別だよ」 「ふふっ、そんな真ちゃんも可愛いよ」 「からかわないでよ  早く寝ないと朝が辛いよ、早く寝よう?」 「うん、そうだね…」 しばらくの沈黙 暗闇の中、互いの呼吸だけが聞こえる 「…ねえ、真ちゃん」 「何?」 「これから先ね…アイドルとして一生懸命お仕事して…  いつの日かトップアイドルになって…そして、アイドルじゃなくなる日が来ても…  私たち、友達でいられるかな…」 「雪歩…?」 「…やっぱり、不安なんだ…  いつかこの寂しいって気持ちも無くなっちゃうんじゃないかって…」 「…雪歩はボクのこと好き?」 「……うん、大好き」 「ボクも同じ。雪歩のこと、大好きだよ  だからね、この気持ちさえ忘れなければずっと友達でいられるよ、絶対に」 「……そっか…そうだよね」 「うん…」 「…おやすみ、真ちゃん」 「おやすみ、雪歩」 その後はお互い無言だった しばらくして、雪歩の寝息が聞こえて来る そう遠くない未来 大人になって、今より更に仕事をして、そのうち家庭を持って、新しい世界で生きていくことになるのだろう そうなれば仲間たちと会うことも無くなるかもしれない それでも、と真は思う これから別々の道を歩んでいくのだとしても、仲間たちとの記憶と想いさえ残っていれば それはきっと、死ぬまで自分を支える力となってくれるだろう それもまた一つの絆の形であるはずだと 別れの時はいずれ訪れる、その覚悟はしなければならない 「(…でも…)」 布団の中で雪歩の手をそっと握る 「(もう少しの間ぐらいは…甘えてもいいよね…)」 雪歩の手から感じる温もり 久方ぶりの安らぎに包まれながら、真の意識はまどろみの中へと沈んでいくのだった…   ―――――――――――――――――― おまけ・翌日 「うふ、うふふふふふふふふふふ…  ま、まさかこれほどとは…!  もしやと思って盗聴器と隠しカメラをセットしておいたかいがあったわね…!  これがあれば後十年は戦える(妄想)…!」 「こ、と、り、さん(ニコッ」 「ヒィッ!?  り、律子さん?  ど、どうかしましたか」 「いえいえ、随分楽しそうだな〜と思いましてね  いい事でもあったんですか」 「ま、まぁそんなところです」 「そうですか  ところで、昨日帰る時にあったカメラの話ですけど」 「へっ!?  な、何故それを!?」 「……やっぱり……  雪歩があんなこと言い出した時何か企んでるんじゃないかと思いましたけど…」 「!?  は、謀ったわね律子さん!」 「言い訳は地獄で聞きます  とりあえずデータは全て没収です!  今の世の中何がどんな形で流出するかわからないんですからね!」 「そ、そんな御無体なぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」 「うるさいですよ!」