時代は明治だった。 私は武家出身ながら商才あって維新後富を築いた家に生まれたおかげで、 名門女学校に通い何不自由ない裕福な暮らしを送っていた。 あの日、私は学校が引けてから屋敷お抱えの俥で親戚の家に向かっていた。 親に届け物を言いつけられていたからだが、その用件自体は割とどうでもよくて、 そこの家の馬鹿息子に私を引き合わせようという目論見があるらしかった。 気は進まないがとりあえず用事は済まさねばならない。 季節は早春だった。ほのかに梅の香りがした。 ーーああ、もうそんな季節なのね。 時が過ぎるのは早い。その流れの中で私ができることなど、ごく僅かだ。 非力で小さい私は、いずれ親が定める相手と結婚して子供を育て、運が良ければ穏やかな老後を迎える。 多少あがいたところで結局はそうなるのだろう。 今にして思えば年に似合わず悟ったような、その癖世間知らずな箱入り娘の域を出ない諦念に、私は浸っていた。 しかしそれは突然の「頼むどいてくれー!!」という怒号により突然破られた。 何事かと少し身を乗り出そうとすると車夫が「お嬢様しっかりつかまっててください!」怒鳴る。 前方に目をやると、暴走した馬車がーーーー。 *** 「誰!?」 「おや。目覚めましたか」 次に気がついた時、私は見慣れない洋館の一室でベッドに寝かされていた。 そして目の前には銀髪の、しかし若い女性がいた。 西洋人かと思ったが私と同じ言葉を話すし、菖蒲をあしらった着物を着ていた。 「えっと、西洋人?」 「ここでは、四条貴音と名乗っております」 なんか引っかかる言い方だが、それより気になることがある。 「私は、なんでここに?」 「ふむ。どこから話しましょうか…ああその前に、どこか痛いとか気分が悪いなどありませんか?」 問いかけられ改めて自分の体を点検してみるが、特に問題はなさそうだ。 「大丈夫よ。そういえば私、俥に乗っていたのよね。もしかして事故に遭ったのかしら」 「まあ、そのようなものです。そしてかなりの重傷を負い危険な状態でした。  私はそこを通りかかり、思わず助けてしまいました」 「思わずってどういうことよ。助けてくれたのなら、有難いことだわ。ありがとう。  後で家からもお礼を…って、ちょっと待って」 「なんでしょう?」 「私、重傷だったのよね?死にそうだったんでしょ?」 「そうです」 「それなのに、今は傷一つないってどういうこと?寝てる間に十年くらい経ってしまったの?」 「いえ、貴女の乗った俥に馬車が突っ込んだのは、今日の昼間のことです」 「それって……どういうこと?」 四条貴音と名乗った女性は、一度目を伏せてから、意を決したように私を見て言った。 「貴女は、もう普通の人ではありません。不死の体になってしまいました。私が助けたせいで」 「はあっ!?」 「恐らく信じてはもらえないと思いますが、私は月から来たのです」 「うん、無理」 「まあとりあえず聞いてください」 「……他にいい方法もなさそうだから、そうするわ」 「故あって、私は一族の者と共にこの星に参り、西洋のとある国に居を構えました。  しかしやはり月とは何かと勝手が違い、当初は試行錯誤の日々だったのです。  食事にしても何が食べるもので何がそうでないのかもよく分からず、  色々試しているうちに土地の人々は私たちを人の血を吸うとして疎み始め」 「ちょっと待って!…え?何?アンタまさか」 「安心なさい。実際にそのようなことは致しません」 「本当に?」 「まことに。私たち月の民は、死や老いという概念がありません。  幾年経っても全く外見が変わらないことから、人々の間で想像の話が広まってしまったようです。  そして、私たちの血を分けた人間もまた、不死になってしまうのです」 かなり混乱してきた。 言っていることは荒唐無稽、少女倶楽部でもこんな滅茶苦茶な小説はないと思うが、 現に瀕死だったはずの私の体はぴんぴんしている。 いや、事故に遭ったということすら嘘であるとするならばそちらの方が納得しやすいのだが、 この女が言うと妙に説得力があるというか。 「それは、どうやって分かったの?」 「ある時、狼に襲われた人を私の屋敷で保護しました。  先ほど私たちは死なないと申しましたが、それでも少し体調が悪くなることはあるのです。  月にいた頃、そういう場合には健康な者の血を分けてもらうのが一般的な療法だったので、  その怪我人にも同じように施したところ、不死の体になってしまいました。  今も、世界のどこかを旅しているはずです」 「…すっごく嫌な予感がしてきたんだけど」 「恐らく当たりです」 「つまり死にかけた私は、アンタの血をもらって死なない体になってしまったと?」 「ご明察」 「ちなみに、血を分けるってどうやったの」 「それは言えません」 「なんでそこだけ伏せるのよ!」 だんだんと本気で諦めの心境になってきた。 「そういえば、月から一緒に来たアンタの連れはどうなったの?」 「元気でやってますよ。我々は人から見れば異質な存在で、集団でいるとどうしても悪い意味で注目を集めてしまいます。  そのため、300年ほど前からは散らばって暮らすことになったのです。  もうすっかりこちらの生活にも慣れましたし」 「はあ…で、私はこれからどうしたらいいのかしら?」 「まずはご家族の元へ帰るのが良いでしょう。  しかし、貴女が年を取らないということで色々と支障が出るかもしれません。  その時は私が責任持って面倒を見るとお約束いたします」 貴音の言う通り、私は一旦は家に戻ったものの、数年もすると家族をはじめとする周りの者に様々な疑念を抱かれるようになった。 今よりずっと、伝承にある超常現象なんかが信じられてる時代だったし。 つまり変なものが乗り移って妖しになったんじゃないかと、気味悪がられるようになった。 割と当たっているだけに始末が悪い。 私も自分なりに悩んではみたが、結局手段は一つしかなかった。 「来たわよ」 「来ましたね」 「責任取ってもらうわ」 「ええ。二言はありません。そういえば、名前を聞いてませんでしたね」 「ああ、そうだったかしら。もう何年も経ってるのに…ってアンタたちにとっては、つい昨日のことよね」 「ふふ、未だに時間の概念を合わせるのはよく忘れるのです」 「伊織。水瀬伊織よ」 「良い名です」 こうして、たまたま通りかかった宇宙人にうっかり不死にされてしまった私は、 貴音と二人で永遠に旅する羽目になってしまったのである。 「ああ、言い忘れていましたが」 「この上更にどんな不幸があるのよ」 「血を分けると、欲も分けることになるのです」 「はぁ!?」 「つまり、貴女に血を分けた時から、私の持つ欲の一つが半分こになった訳です」 「そういう重要なことは先に言いなさいよ」 「すっかり忘れておりました」 「で?」 「貴女には性欲を譲りました」 「ぶっ!!!」 「食と睡眠は妥協したくなかったので」 「ちょちょちょっと、なんてことしてくれんのよ!  つまりアンタは半分になって、私は元より増えたってことじゃない!!」 「大丈夫。まだ半分はありますから、いざという時には助太刀します」 「ふざけんなー!!!」 *** 「アンタ昔、注目を集めたくないって言ってなかった?」 「その通りですが」 「だったら『大盛ラーメン8杯完食で無料!!』にホイホイ釣られた上に難なく達成とかやめなさいよ。  店主も客もガン見で恥ずかしいったらなかったわ」 「あの程度で驚くとは、まことこの地の人は少食です」 「いや絶対アンタの方がおかしいから」 あれから世の中も随分変わった。 「人々の関心事は比べものにならない程増えています。  多少奇異に映ったところで、昔ほど困ったことにはならないでしょう」 「アンタは奇異すぎるのよ」 「そうでもないですよ。あちらからやってくる白い娘、かなり面妖に見えませんか」 貴音が指差す方を見ると、確かに向こうが透けそうに色白の少女がヨロヨロと歩いてくる。 「うう…こんなダメダメな…穴掘って…」 「なんかブツブツ言ってるわね」 「今風に言うとヤバイですね」 「あれは気弱そうに見えてこだわる所にはとことん頑固な、ぶっちゃけ面倒な類ね」 「そこまでバッサリ言わずとも」 「関わり合いにならないに越したことはないわ…って道の真ん中に埋まるんじゃないわよ!」 「おやおや」 なんだかんだでこの少女に関わってしまい、私だけがえらい目にあってしまうのだが、それはまた別の話。 <力尽きた>