芸能事務所に公休日というものはない。 アイドルの仕事は元々不規則であるし、社長を含めスタッフは交代で休みをとることになっている。 そこでアイドル兼事務員兼プロデューサー見習いの私であるが。 三足の草鞋となるとなかなか休みもままならず、また仕事は充実してやり甲斐があり学ばねばならないことも沢山あり、 ついつい休養を疎かにしがちなのだが、先日半ば社長命令のように休暇を取れと言われ、今日はめでたく完全休日なのである。 「おう。もう昼か…」 たまには目覚ましをかけず思う存分寝てみようかと思ったら、本当に寝倒したらしい。 すっかり日が高くなっているのがカーテンを通しても分かる。 もぞもぞとベッドから這い出す。寝間着は部屋着兼用のジャージだ。 とりあえず机の上の携帯を手に取って、手早くメールを送信。 『今起きた』 『おはようございます。今日はゆっくり休んでくださいね』 顔を洗って戻るともう返信が来ていた。 『ありがと。打ち合わせもう終わったの?』 『はい。あと昼一で取材を受けて今日は終わりです』 『学校戻るの?』 朝食兼昼食のトーストと目玉焼きとヨーグルトを用意する合間にメールのやりとり。 『いえ。今日はさぼっちゃいます』 あらら。あの子にしては珍しい。 お昼のワイドショーをちらちら見つつ食事を取り、ついでに冷蔵庫にあったプリンも食べながらメールは続く。 『まあたまにはいいんじゃない。普段真面目にやってるし』 『あの、それで、もしよかったら、お仕事の後、お家にうかがってもいいですか…?』 おっと。そうきたか。 まあ近所のスーパーへの買出しくらいしか用事もないし、いいか。 『いいわよ。近くまで来たらまた電話してくれる?』 『ありがとうございます!じゃあ駅に着いたら電話しますね』 仕事に戻ったのか、そこでメールは終わった。 さて。あの子が来るとなると、ちょっと部屋を片付けたいな。 少し前に秘密兵器ルンバを買ったおかげでそんなに散らかってはいないが、お客さんとなると話は別だ。 寒いけど窓を開ける。雑誌や新聞は一ヶ所にまとめ、本棚と机を整理し、家具や家電の埃を払う。 掃除機をかける間に洗濯機を回して、あの子が来たら多分キッチンを使うだろうから、シンク周りも綺麗にして布巾を取り替える。 あー、トイレと洗面所も掃除しておくか。 それと、少し考えてからベッドのシーツも取り替えた。 なんだかんだで結構気合の入った掃除になってしまった。 でもこれでしばらくは夜遅く帰ってもゲンナリせずに済むので良しとする。 ベランダにはためく洗濯物を満足げに見ていたらふとジャージはあんまりじゃないかという気がして、 もう少しまともな部屋着に着替えたところで携帯の着信音がなった。 *** 「お疲れ様」 「ありがとうございます」 会話だけ聞いているといかにも私が仕事帰りの彼女をもてなしているかのようだが、 目の前のお菓子は彼女が持参したものだし、お茶を淹れてくれたのも彼女だ。 お茶には一家言ある彼女のこと、今日のお茶菓子に合う茶葉まで持ってきていた。 「どうですか?」 「ん。おいしい」 口に入れればとろける舌触りに濃厚な香りが立ち上る抹茶生チョコレートは、絶品だった。 「よかった。あの、手作りの方がいいかなとも思ったんですけど、  でも私は春香ちゃんみたいに上手じゃないし、せっかくならおいしいの食べてほしくて、  でもでもあうぅ」 「大丈夫。分かってるから」 きっと今日のためにいろんなお店を一生懸命探し回ったに違いない。 私においしいと言ってもらうために。 「ほら」 ひとつつまんで、彼女の顔の前に差し出す。 「ひゃい!?え、えっと…」 私の意図を察して、頬を染めながら控えめに開けた口にそっとチョコを入れる。 「ね。おいしいでしょ」 「はい」 自分が買ったものでもないのに、何得意気になってんだ私。 でも赤くなったまま恥ずかしそうに俯いてお茶を飲む私の彼女は可愛い。 本当に可愛い。超可愛い。 「おいで。雪歩」 「はい」 *** 「日が長くなってきたわね」 「ちょっと前だったらこの時間はもう真っ暗でしたね」 とはいえそろそろ暮れかけてきた頃。 駅までゆっくりと歩いて彼女を送っていく。 ひゅうっ、と冷たい風が吹き付ける。 「うっ。さむっ。寒くない?」 「あ、はい。大丈夫です、けど」 「?」 遠慮がちに、でも二人だけに分かる親密さを込めて、私の腕に抱きつくようにしてくっついてきた。 「こうしたら、律子さんもあったかいですよね?」 少しいたずらっぽい目。 いつもより大胆な振る舞いは、ついさっきまでの余韻が残っているせいだろう。 それは私も同じだ。 「遅くなっちゃったけど、お家の方は大丈夫?」 「はい。今日はちょっと遅くなるって言ってありますから」 「そっか」 あ。もう駅が見えてきた。残念だな。 「あー、えっと」 「?」 「無理なら、いいんだけど。もし、ご両親がいいって言ってくれたら」 「はい」 「一度、泊まりに来ない?例えば一ヶ月後とか」 あーちくしょう。肝心な時に恥ずかしくなってきて、かっこよく言えないな。 「はい。ぜひ…」 彼女はそれだけ言って、ぎゅっと腕の力を込めた。うん、割と上手くいった模様。 「それじゃ。風邪ひかないようにね」 「律子さんも。お忙しいでしょうけど、無理しないでくださいね。今日はありがとうございました」 「私こそ、来てくれて嬉しかった。ありがとう」 そうそう、嬉しかった。すごく嬉しかったよ。 「それじゃまた」 「バイバイ」 改札を通ってからもう一回振り返った彼女に手を振って、階段を上って見えなくなるまで後ろ姿を見送りながら、 シーツ取り替えといて本当に良かった、などと思った休日の終わり。 <了>