「亜美になつかれて困ってる?」 なにを今更、と投げやりに言い放って、千早ちゃんは事務所のソファに体を預ける。 相談があると言ったときの緊張した態度はすっかりと解けて、 もういつものくつろぎモードって感じだった。 「亜美は元々、春香になついてた方だと思うんだけど」 「う、確かにそうなんだけどさあ。最近は前にも増してひどいんだよー」 亜美と真美の仕事がそれぞれ忙しくなってから、亜美は私に構う時間が増えた。 それは真美の方も同じみたいで、暇さえあれば雪歩にくっついてるのが見えたりする。 双子の片割れ離れ、とでもいうのだろうか。 ケンカしているようには見えないし、仲がいいのも相変わらずだから、 単なる自立みたいなものなんだろう。 「なつかれる分には、別にいいんじゃないの?」 「嬉しいと言えば嬉しいんだけど……」 あの二人はお互いにべったりすぎだったところもあるから、少し離れるのはいいことなんだけど。 それでその分こっちにベタベタされてもどうなんだろうっていうか。 すっきりしない部分もあるというか。 「ふうん」 「な、なんでそんな冷たいの、千早ちゃん」 だってどうでもいいものって物語る瞳。 そういう態度はいくら親友といえどひどいんじゃないかな。 「つまり、春香は」 千早ちゃんは面倒くさそうにため息を吐いて。 「真美の代わりとして扱われてるかもしれないのが嫌なのね」 ……さっきの話から、どうしてそういう結論になりますか。 「亜美に困ってるって話をしてるのにー」 「私には、ノロケにしか聞こえないわ」 むぐぐ、千早ちゃんってば本当にひどい。 さっきからのノリの悪さはその勘違いがいけなかったのか。くさくさした目をしちゃって。 今にも「まあ、なんでも、いいですけれど」なんて言いそうだ。 「だって、ベタベタされるのに不満はないんでしょう?」 「うーん、まあ」 「なら、なつかれて困るのは、どうして?」 「それは、えっと」 べったりされたら困るから、は違うよね。ベタベタされて嫌なわけじゃないし。 ……む、具体的に考え出すと、何で困るのかうまく説明できない。 千早ちゃんの目がどんどんと鋭くなっていくのが視界の片隅に見える。 ううう、このまま説明できないと、一番悪い選択肢を選んでしまいそう。 バッドコミュニケーションだ。 「ロリコン」 「年の差的には、律子さんと美希と同じくらいだから!」 とっさに言い返すと、それはそれは冷たい目をされてしまった。 「へえ。そうなの」 「そうだよ!」 ここで引き下がったらいけない気がして、必死で声を張る。 少なくとも、ロリコンなる悪名だけは避けなければ。 「春香がロリコンでも、別に引かないわよ」 「だから違うよ!」 友情が心に突き刺さる。 理解ある親友と言ったら聞こえはいいけど。誤解なんだってば。 「なんで千早ちゃんは、私をそうしたがるかな……」 「だって、春香のことだったら大体知ってるもの」 「うわあ、危ういセリフあいたっ」 バカなこと言わないの、と額を叩かれる。 うう、千早ちゃんもかなり違和感なくこういうスキンシップを取るようになってきたよね。痛い。 「まあ、本人も帰ってきたし、じっくりと話し合えばいいんじゃないかしら」 「へ?」 言われて耳を澄ませてみれば、カンカンと階段を跳ねる足音がオンボロ事務所に響いてくる。 「千早ちゃん、やっぱり耳いいよね」 「普通よ」 そんな会話を交わすのと同時、「たっだいまー!」と元気よくドアが開いた。 「はるるんやっほー」 私の膝にごろんと体ごとのっかって、ご機嫌にふんふんと鼻歌を歌っている。 その頭をよしよしとなでてあげると嬉しそうに目を細めた。 「何の話してたの?」 「んー、そうだな」 流石にはっきり言うのは躊躇われる。 けど、どう言ったものか分からなくて。 言葉を詰まらせていると、千早ちゃんが口を出してくれた。 「春香はスキンシップ大好きだって話よ」 「だいぶ曲解されてるよ!」 スキンシップが嫌いだとは言わなかったけど。 そういうふうに言われると、なんだか誤解されそうだ。現に、亜美は目を輝かせてるし。 「そいつはいいことを聞きましたなぁ」 「うう……」 気圧されて頭を背けるけれど、さっきまでとは違った視線がちくちくと突き刺さる。 逃げようにも、膝の上を占領されたままでは動くに動けないのだった。 「はるるんがスキンシップ好きなのは前から知ってたけどね」 「そうね。あ、私はこれからレッスンに行くから。せいぜいいちゃいちゃしてなさい」 初めの一言よりももっと投げやりに言って、千早ちゃんはそそくさと帰り支度を整えてしまう。 いちゃいちゃって。それ以上に、この状況で亜美と二人きりにしないで。 「千早お姉ちゃんまったねー」 「はい。また明日」 「えっ、ちょっ」 待って、という言葉は口に出されることもなく、ばたんと閉まる扉に遮られてしまった。 行動早すぎでしょ。千早ちゃん、助けてってば。 今日は小鳥さんもいないから、事務所に残されたのは私たちだけ。 今すぐ逃げろって私の本能が告げている。 「はーるるん!」 「きゃっ!」 腰に抱きつかれて、お腹に頭をすりすりされる。 だいぶくすぐったい。くすぐったいし、お腹に頬ずりされるのは。 「あ、亜美。タイム」 「んー?」 甘えた上目遣いにどきっとしながら、亜美の肩を押して、ちょっとだけでも距離を取る。 微妙な表情はスキンシップを遮られたからか。 「嫌?」 「嫌とかそういうんじゃなくてね」 なんと説明したものか。素直に恥ずかしいのもそうだけど。 さっきまで千早ちゃんに変なことを言われてたせいか、妙に意識しちゃってる。 油断したら顔が赤くなっちゃいそうな自分が憎い。 亜美は、そう、妹みたいなもので、今の状況もいつものスキンシップとそう変わらないはずなんだ。 「はるるん?」 「はっ、はい!」 「やっぱなんかヘンだよ?」 心配してくれてるのか、のぞき込んでくる顔。近い。近いって。 「だ、大丈夫。大丈夫だから」 これ以上見つめられた方が変になっちゃうから。 耳まで熱くて、顔がじわじわと赤くなってるだろうなって自分で分かる。 うわあ。これ、見られたくない。 「あ。もしかして」 「な、なにかな?」 いつもより何割り増しか真剣な声色。 次に来る言葉が予測できなくて、せめて表情だけでも見せないようにと必死で顔を背けた。 「千早お姉ちゃんに告白されたとか」 「ぶぅっ!? なんでそうなるの!」 「だって、それくらいしか理由思い浮かばないんだもん」 唇を尖らせて、亜美は考えごとをするような顔になる。 それくらいしか、なんて言うけど、私からしたらその発想こそ突拍子もない。 「なんで、千早ちゃんが」 「えー。だって、千早お姉ちゃん、はるるんのこと大好きっしょー」 「でも告白はないよ。ないない」 間髪入れずに返す。だって、千早ちゃんだよ? さっきまで、あんなに冷たくロリコンなんて罵ってくれたのに、告白なんて、ねえ。 「ふーん? まあ、してないんだったら亜美的にも安心なんだけどね。ホユーってやつ」 「それは杞憂だよね」 「あ、それそれ」 はるるんはよく分かってくれてますなーと今度は胸に頬ずりされる。 あ、うわ。これはまずいかも。なにがまずいって、さっきより近づいてる。 抱きつく力も強くなってて、がっちりとホールドされてる。 タイム入れたのは間違いだったのかもしれないなんて、自分の行動を恨んでみたり。 「亜美。こそばゆいって」 「そーお?」 「ひあっ」 背中に、ぞくっと。 胸に顔を埋めたまんまの発言は、ちょっと、やばい。 「……はるるん、声えろい」 「あ、亜美がいけないんでしょー」 エロいとか思うんだったら胸から頭を離してほしい。 今の顔を見られるのも嫌なんだけど、この体勢はほんとにだめだ。なんだか変な気分になる。 「んー。ドキドキ、してるね」 亜美の腕に力が入って、さらにぎゅうって引き寄せられる。 「ね、ちゅーしていい?」 「ちゅー!?」 ぼんって爆発した音が頭の奥に響いてる。 だって、ちゅーってつまりキスってことで、亜美にキスされちゃうって、どうなるの? 「はるるん、目、つぶって?」 「あ、ちょ、ちょっと、待って」 「もが」 亜美の顔を手で押し返す。 不満そうな顔をされても、こういうことは勢いでするものじゃないと思うんだ。うん。 「うー、なにが駄目なのさ」 「なにがって、そりゃ、いろいろでしょ」 ここでキスなんてしたら、それこそ問題しかない。 「そういう雰囲気だからって、やんないの」 「……はるるん」 あ、視線が痛い。でも、年上としてこういうことははっきりしておかないと。 「いくら亜美だからって、雰囲気なんかでやろうとはしないって」 「え、だって」 「本気、だもんね」 優しくソファに押し倒されて、亜美が私を見下ろしてる。 抵抗できなかったのは、驚きと、その動作があんまりに自然だったから。 「亜美は、はるるんのこと、好きだから、ちゅーしたい」 吐息が頬に触れて、一拍間をおいてから、ちゅ、と音が聞こえる。 ぴくんと無意識に震えてしまった肩が恥ずかしい。 「ね、いい?」 「う……」 ここまで言わせて断るのって、流石にひどい。 でも、ここでオーケーするのは私も好きだって宣言するようなもので。 亜美のこと、確かに好きではあるんだけど、そういう目で見たのって今までなかったし。 「今日のはるるん、やっぱ誘ってるよーにしか見えないんだけど」 「そ、そんなこと、ないよ!」 私からしたら亜美の方が積極的だから流されちゃってるんだ。 顔がすっごく熱くなってる。今日だけで最高体温を何度更新したんだろう。 「あーもー。だからそれ、我慢できないんだってば」 我慢できないって、どういうこと。 言い返したかったけど、その時にはもう、亜美の顔が目の前に迫ってた。 「はるるんが悪いんだかんね」 そう囁かれて、唇が触れた。 目の前に見えるのは、亜美の顔。 「ん……」 角度を変えて、もう一回される。 一回だけじゃなかったのってびっくりしたけど、抗議しようとする声は、キスに押し返された。 「んんっ!?」 亜美の舌が入ってきて、口の中をかき回される。 舌。舌まで。どこでそんなの覚えてきたんだろう。 「は、ぁっ……」 唇が離れたときの合間合間に漏れる声が、どこか遠くから聞こえるみたい。 こんな声、出せたんだ、私。 ずっとキスされてたら、息が苦しくなってきた。 酸素が欲しくて口を開けたら、よだれをこくんと飲み込んじゃって、さらに苦しくなる。 「ん、んんっ!」 手首を押さえられてるから、舌を舌で押し出すようにして苦しいって伝える。 意図を察してくれたのか、亜美は顔を離してくれた。 「……ぷはっ! あ、あみっ! なんで、舌なんて」 「やっちった」 「やっちったじゃなくてぇ!」 悪戯っぽく笑う亜美の顔も赤くなってる。 そういう顔、されたら、これ以上非難することもできない。 私ってば、亜美に甘すぎるのかなあ。 「もう一回言うけど。亜美は、はるるんのこと好きだから」 「う、うん。それは分かったよ。ものすごく」 「亜美的には、返事もほしいとこなんだけど」 「へ、返事って」 どう返事すればいいんだろう。 しつこいみたいだけど、亜美が私のこと好きだって、思ったこともなかったから。 どうしよう、どうしようとぐるぐる考えるけれど、答えは見つからない。 「はるるんはさ、鈍感だよね」 「ひ、否定できません」 申し訳なくて、敬語になってしまう。 押し倒された状態で悩むことじゃないんだけど。 「でも、断られないってことは、まだチャンスあるってことだよね」 「ほえ?」 もう一度、軽くちゅっと。 「これから、今まで以上にべたべたするから、カクゴしといてね!」 「ええー……」 今まで以上って、想像するとすごく怖い。 けど、それでも、千早ちゃんに愚痴ったりはもうしないんだろうなって予感があった。 「ね、ね。もう一回ちゅーしていい?」 「えっ。ちょっと、亜美。さっきも勝手にって、んんっ」 ……どうにかしちゃう前に、誰か帰ってきてくれないかなあ。