「おはようございまーす」 事務所の扉を開け、挨拶をしながら奥へと向かう。 「おお、律子君。おはよう」 「おはようございます。社長。今日の予定で変更になったこととかありますか?」 「うむ。実は今日は君にやって貰いたいことがあってね。まずは紹介するから奥へ来てくれたまえ」 「あ、はい」 紹介?誰を?とは思ったものの、まあ合えば分かる事だと社長について行く。 ソファーには一人の女の子がいた。 「美希君。君の先輩を紹介するよ。さ、律子君」 「あ、初めまして。秋月律子です」 社長に促され、自己紹介をする。 「美希君。君も律子君に自己紹介を」 「ミキは星井美希だよ☆よろしくなの。あふぅ」 な、なんなの?この子は・・・ あまりな自己紹介に、目の前の子をマジマジと見つめる。 地毛とは思えない派手な金髪のロング。 特に高くは無いけれど、実際より大きく見える身長。 あずささんとまでは行かないけれど、かなり立派なプロポーション。 誰もが目を惹かれる整った顔立ちと輝くような笑顔。 そして、見た目うんぬんよりも、纏う雰囲気が明らかに普通の子とは違っていた。 「律子君。悪いんだが、先輩として美希君にアイドルの事を簡単に教えてやってくれないか?  私はこれから出かけなくてはならないのでね」 「あっ、はい。分かりました」 「美希君。そう言う訳だから、後は律子君にいろいろ教えて貰いたまえ」 「はーい」 「それじゃあ、律子君。後を頼んだ」 「はい。行ってらっしゃい社長」 「星井さん。改めて自己紹介するわね。私は秋月律子、18歳、高校3年よ。まだまだ売出し中だけどアイドルやってます。あなたは?」 「ミキは14歳、中学2年なの」 え?14歳?中学2年?てっきり春香くらいだと思っていた私は少々驚いた。 「これからよろしくね。星井さん。それじゃレッスンの事とか、私のアイドルとしての経験とか学んだ事とかを中心に教えていくわね」 「えー、本当にアイドルなの?地味だから事務員かと思ったの。あとミキの事はミキで良いよ」 「むっ・・・、そりゃあまだ世間じゃ全然知られて無いけど・・・。これでもDランクなんですからね」 まあDランクとは言え、正確にはDランクマイナスで、Eランクから上がったばかりの仮免許見たいなものなんだけれど。 それでも、ファン人数が累計で10万を超えてるのは間違いない。 「まあ、そんなのどうでも良いの。面倒だからさっさと終わりにしよ?リツコ」 「・・・りつこ?」 「あれ?名前違った?アキヅキリツコじゃなかった?」 「名前は合ってるけど、問題はそこじゃない!なんでいきなり呼び捨てなの!」 「えー、何で?リツコはリツコでしょ」 「何でじゃない!私の方が年上だし、先輩でしょ!」 「そんなの関係ないって思うな」 「関係なく無い!社会人としての常識よ!アイドルだって仕事である以上、最低限の礼儀は守らなきゃならないのよ!分かった?」 「むー」 「むー、じゃない!子供じゃないんだから、ちゃんと敬称くらいつけられないと駄目よ。ホラ、もう1回」 「リツコ」 ジロッ 「、、、さん」 「・・・ま、いいわ。それで。じゃあ、説明始めるわよ」 凄く魅力的なのは確かだけれど、こんな調子で本当にちゃんとやっていけるのかしら? そんな不安を感じつつ、当面必要な知識を教え始めた。 1時間程度の間で分かったことは、美希はとても頭の回転が速い事と、興味を持った事にはとても熱心だという事だった。 まあ、興味のない事には全然だったけれど・・・ 控室に入ると、見覚えのある金髪が目に入った。 「コラ!もうすぐオーディション始まるのに、だらけてちゃダメでしょ!」 机に突っ伏している美希の頭を軽く小突く。 「あれ?なんでリツコ、さんもいるの?」 「ん?今日は本当は別のオーディション受けるはずだったんだけど、手違いで募集人数より多く受け付けちゃったんですって。  それで、まだ空きのあったこのオーディションに回されたのよ」 Dランクプラスの私は、EFランク限定のこのオーディションには本来参加できない。 滅多にある事ではないが、主催者によってはあぶれた応募者を別のオーディションに振り分ける事がある。 チャンスが増えるのは悪い事では無いけれど、今回のように低ランクのオーディションに入れるとは限らず、 AランクBランクがひしめき合う所に放り込まれる事もあるので、単純に良い事とも言えない。 「皆さんお待たせいたしました。これよりオーディションを開催しますので移動をお願いします」 審査が始まり、皆が次々にアピールを繰り返し、それに対する審査員達からの評価が返ってくる。 「1番さん。もっと良いものを見せて頂かないと」 「4番さんのせいでオレやる気無くなっちゃうよ」 「6番さん。全然ダメ」 やはり、まだレベルの低い子が多いせいで、審査員の評価も厳しい声が多い。 「ボーカルは2番の方が一番ですね」 「おっ、2番さんのダンス、びびっと来ちゃったよ」 対照的に美希の番号が出る時は高評価ばかり。 やっぱり社長の見る目は確かだったわね。 「皆さんお疲れ様でした。これより審査結果を発表します」 今回は合格できる自信があるけれど、やはりこの瞬間は緊張する。 「合格は3番、2番、5番の方です。番号を呼ばれなかった方はお帰りください」 ふぅ、なんとかトップ合格は出来たか。 さすがに美希に負けたら、偉そうに説教してきた先輩としての面目が保てないものね。 収録は3位合格者からで、1位の私の出番はまだ30分以上後だ。 控室で休むことも出来たけれど、他のアイドルはどのようにアピールしているか? 当日の観客の反応やディレクターの求めているもの等を調べる為、ステージの袖で収録の様子を見ていた。 次は、初めて見る美希のステージだ。 やはり、同ランクの他の子と比べて明らかにレベルが違う。 いや、レベルが違うと言うのは正しくないか。確かに他の子より上だけれど大きな差ではない。 振り付けを間違えたり音程がずれたりもするけれど、それを気にさせない魅せる才能が圧倒的なんだ。 「お疲れ様。美希」 「あ、リツコ、さん。見ててくれたの?ミキのステージ良かったでしょ?」 「まあ、今のランクから考えれば良い方だけど、もっと良くできるところは一杯あったわよ」 「えー?ミキ的には十分だと思うな」 「まだまだ伸ばせるんだからもったいないわよ。他のアイドルのステージ見て勉強しなさいよ」 「・・・」 「返事は?」 「・・・はーい」 「参考になる事もあるはずだから、とりあえずこの後の私のステージをちゃんと見てなさいよ?」 アイドルとしての素質で私を大きく上回るのに、適当にやっている美希を見ているともったいなくて仕方ない。 見た目は勿論、歌やダンスの才能なんて無いから、頭脳をフル回転させてここまで来た私のステージを見て、 少しでも参考にしてくれればと思う。 「律子さん!」 ステージから戻ると、美希が駆け寄ってきた。 ん?何か違和感が・・・ 「ミキね、初めて律子さんのステージ見たけど凄く良かったの!」 「あ、ありがと・・・」 「あのね、司会者さんとのトークで笑っちゃったし、曲に入ったところのカッコ良さにキュンと来ちゃった。後ね・・・」 美希は、まるで憧れのアイドルに初めて会った時のように目を輝かせ、興奮気味に感想を語り続ける。 その勢いに押されながら聞いてるうちに、違和感の理由に気が付いた。 「ねえ、美希。私の事、自然にさん付けて呼ぶようになったじゃない」 「え?そう?んー、でも、そんなのどうでも良いの。それよりミキもステージでもっとキラキラ出来るようになりたいの。  だから律子さん見たくなれる方法教えて欲しいの」 今までのだらけた姿からは想像できないほどやる気に満ち溢れた美希に、正直戸惑いを覚えたけれども、 才能の塊のような美希がやる気を出したら、どれほどのアイドルになるのかと期待もまた大きかった。 「いいわよ。その代り、真面目にレッスン受けるのよ?」 「ハイなの。ミキ、頑張って律子さんに負けないくらいキラキラになるの」 「そう、楽しみにしてるわね。あ、じゃあオーディションで私に勝ったら、美希のいう事なんでもひとつ聞いてあげるわ」 「ホント?ホントになんでも言う事聞いてくれるの?」 「ええ、勿論。私に勝てたらだけどね」 「約束だからね?絶対だよ?」 「はいはい。分かったから、早く着替えに行くわよ」 冗談半分で言ったのだけれど、美希がものすごく乗り気になったので、いまさら冗談とも言えずにそのまま約束をした。 まあ、ご褒美のアメがあっても良いものね。 「あれ?律子さん。振り付け変えるの?」 私の練習をじっと見ていた美希が驚いたように声を掛けてきた。 ここのところスケジュールが合わなくて、ダンスレッスンで一緒になるのは久しぶりだ。 美希は私と一緒のレッスンをずっと避けていたけれど、オーディションで一緒になってからは積極的にこなすようになっていた。 「ん?ああ、変えると言うか、これが本来の振り付けなのよ」 「え?どういうこと?」 「曲変更した時にダンスのレベルがちょっと低かったから、完全に出来るようになるまで簡略化してたの。  それに時間が経って、新曲効果も薄れ始めてるから、より見栄えのするダンスじゃないとこの先キツイからね」 「へー、それで律子さん最初からアクシデント無しで踊れてたし、途中から振り付けが変わってたんだ。  あっ、じゃあキーが途中で変わってたのも・・・」 「あら、良く気付いたわね。そう。ボーカルの方も伸びが苦しい所とか、キーを下げて貰ったりとかね」 「えー、そんなのズルイの」 「ズルくないわよ。私はちゃんと振り付けやボーカルの先生と相談して決めたんだから」 「ぶー。じゃあ、ミキももっと簡単にしてもらえるように先生に頼んで来るの」 「あっ、美希待ちなさい」 引き留める間もなく先生の下へと走り去った美希は、身振り手振りを交えた短い会話の後、笑顔で戻ってきた。 「ずいぶん早かったけど、その顔だとOK貰ったのよね?」 「うん。律子さんと一緒に考えるって言ったらすぐOKしてもらえたの」 「は?私も考えるの?」 「うん。ミキね、律子さんと一緒が良いの。だからお願いしますなの」 「うーん・・・、わかったわ。でも、本来の振付けもキチンと練習しなさいよ?それが約束出来ないなら協力しないわよ」 「もちろん約束するの。だから早く振り付け見て欲しいの。あのね、ここのところでミスしちゃうの・・・」 「ああ、確かにそこミスがあったわね。じゃあ、その前の振りの最後のところをこうやって・・・」 今回のオーディションはTOP×TOP。 一度も落選した事の無いアイドルしか受ける事の出来ない、Sランクに上がるには必須の特別オーディション。 逆に、落ちればSランクへの道は閉ざされるから、私を含め参加者は皆、上位ランクが視野に入ったハイレベルばかり。 そして、今回は成長著しい美希の姿もある。 合格者1名で、2度と参加できないオーディションに2人が参加するのは、事務所としてはデメリットしかなく、当然反対された。 けれど、美希が私とのオーディションを熱望していたのと、私の残り活動期間、今後開催されるオーディションの時期、 参加条件等々を考慮して2人での参加を許可してもらった。 「それでは今回の合格を発表します」 緊張の一瞬。 こんなに緊張するのは初めてだ・・・。最初のオーディションの時でさえこれほどではなかった。 「合格は6番!星井美希さんです。おめでとうございます」 「ぃやっったぁーー!律子さんに勝ったのっ!」 美希は審査員の発表に、跳びあがって喜びを爆発させた。 「なお、3番の秋月さんも同点でしたが、フレッシュさを考慮して星井さんを選びました」 「えぇ〜、せっかく勝てたと思ったのに・・・」 審査員の続きの言葉を聞いた途端、さっきまでの喜びが嘘のようにうなだれる。 「ミキ、今度こそ律子さんに勝つからね」 が、すぐに顔を上げ、再勝負の宣言をしてきた。 「いやいや、何言ってんのよ。今勝ったばっかりじゃない。それより、すぐ収録なんだから準備しなさい」 「むー!フレッシュ勝ちなんて勝ちじゃないの!今度こそ勝つから、また勝負するの!」 「はいはい。また勝負するから、早く行ってきなさい」 「絶対だからね!約束なの」 もともとSランクは無理だと思っていたので、TOP×TOPに落ちたことは大きな問題じゃない。 けれど、悪徳記者に目をつけられたのは痛かった・・・。 ランクアップまでの残り期間が少ない私は、悪徳記者を振り払うべく、急いで次のオーディションを申込み、結果、落選した・・・。 普段は、他の参加者のレベルと自分のレベルを比較して、十分勝算のあるオーディションに申し込んでいたのだけれど、 焦っていたために、低下したイメージレベルの確認が不十分だったのだ。 結局、Cランクプラスで活動終了期限を迎え、今後の活動については、社長と話し合う事になった。 「おはよう諸君。今日は皆に知らせたい事があって集まってもらった。  突然だが、律子君はアイドルを引退し、本日よりプロデューサーとしてやっていって貰うことになった。  急な話で驚いているだろうが、立場は変わっても諸君らの仲間である事は変わらない。これからも皆で頑張って行こう。  では、律子君」 「はい」 ずっと一緒にやってきた仲間を前に、今までの協力への感謝と、これからのプロデューサー活動への協力のお願いをして挨拶を終えた。 「アンタ、本当にアイドル辞めるつもりなの?」 皆が困惑して一言も発しない中、伊織が口を開いた。 「ええ。社長とも相談したし、私自身が色々と考えた上で決めた事だから」 「・・・・・・そ。アンタがそう言うんなら、他人が意見を差し挟む余地は無いって事ね。  まあ、一流のプロデューサーになったら、私のプロデュースさせてあげても良いわよ?にひひっ」 伊織とは一番付き合いが長い。 お互い言いたいことは言う性格だから、良く衝突したけれど、それだけに私の性格を一番良く知っている。 それに、普段は周りの事に無関心を装っているけれど、何かあればすぐに皆をまとめたり、フォローしたりしている。 だから今回も、とまどう皆の代わりに、私の決意のほどを確認し、真っ先に受け入れてくれたのだろう。 「そんなのイヤなのっ」 伊織が私の引退を受け入れる姿勢を示したことにより、張りつめていた空気が緩み始めたその時、 突然、美希が叫んで、私の前まで進み出て来た。 「なんで?どうして辞めちゃうの?」 「そりゃあ、私がアイドルには向いて無いって事が分かったし、元々マネージメントやプロデュースする側を目指してたんだもの」 「そんなのイヤなの!ミキ、まだ律子さんに勝って無いの!律子さんがアイドル辞めるなんて認めないのっ」 「何言ってるのよ。TOP×TOPで私に勝ったじゃない。それにランクだってもうBランクに上がって、私より上だし」 「あんなの勝ちじゃないし、ランクなんか関係ないの!  またミキとオーディションで対戦してくれるって!ミキが勝ったらなんでもいう事聞いてくれるって約束したのっ!」 「ああ、そんな約束してたわね。ごめんなさい。もうその約束は果たせないわ。だから私の不戦敗ってことで、美希の言う事を一つ聞くわ」 「じゃあ、アイドル続けて欲しいの!それでミキとまたオーディションで対戦して!」 「私はアイドル辞めたんだから、それは無理。アイドル以外の事で頼むわ」 楽しみにしていた美希には悪いけれど、今の私と美希じゃ勝負なんてするまでもなく優劣ははっきりしている。 「どうしてもオーディションで対戦してくれないの?」 「ええ。だから、さっきも言ったように他の事にして。1か月欠かさずにおにぎり作って来いとかでも良いわよ?」 「そう・・・」 美希は俯いて、黙り込んでしまう。 その姿を見ると、楽しみを奪ってしまったことに罪悪感が湧きあがるけれど、美希には諦めてもらうしかない。 「・・・決めたの」 顔を上げた美希は、決意に満ちた視線を私に向ける。 「あっ、決まったのね?じゃあ、何に決めたか教えて」 「律子をもらう」 「えっ?んんっ・・・」 いきなり私を抱き寄せた美希に唇を奪われる。 もがいても、振りほどくどころか、頭を動かすことさえ出来ない。 我に返った伊織達が美希を引き離してくれたけれど、力が抜けた私はその場でへたり込んでしまった。 「律子は、もうミキのモノなの。アイドルでもプロデューサーでも構わない。でも、これからはミキとずーっと一緒にいるの。  ミキね、律子と一緒なら何でも出来るよ。Sランクでも、アイドルアルティメイト優勝でも。  律子がアイドルマスター目指すんなら、ミキが取ってあげるの」 美希は、今までに見た事もない魅力的な笑顔で、私に手を差し出す。 SランクもIU優勝も言うのは簡単だけれども、現実には、ほんの一部しか到達できない。 アイドルマスターの称号に至っては、雲の上の存在と言っても良いくらいだ。 けれど、美希ならできるかも知れない。 トップアイドルを育てるという、私の夢も美希となら叶うだろう。 けれど、そんな損得の計算なんて、差し出されたこの手を取る理由になんてならない。 なによりも『律子は、もうミキのモノなの』と言われた瞬間に、ああそうなんだと自然に受け入れていたんだもの。 差し出された手を取り、美希を見つめ返す。 「言っとくけど、アイドルマスターに到達するまで美希から離れないわよ?それでも良いのね?」 「あは♪モチロンなの。もう絶対に離さないから、律子こそ覚悟するの」 アヒルに、自分と一緒にいろと言う白鳥は、やがては自分の相手としてアヒルでは不足である事に気付き、 自分にふさわしい場所でふさわしい相手と寄り添うことになるのだろう。 いつか訪れるであろう、その日が怖くないと言えば嘘になる。 だから、その日が1日でも先になるよう、アヒルなりに精一杯白鳥にアピールし続けていこう。 初めて会った時から、魅力あふれる白鳥から目が離せないんだもの。