「ねーねーでこちゃん、お腹すいた」 「冷蔵庫になんかあるでしょ。適当に食べなさい」 パソコンに向かったまま答える。 ようやく調子が出てきたところなのに。コイツはいつでも私の邪魔をする。 台所から鼻歌とともに、焦がした醤油の香ばしい匂いがしてくる。 やはり冷凍焼きおにぎりに目をつけたか。昔から、二言目にはおにぎりだったわよね。 頭の片隅でそんなことを思いながら、英文の資料に目を走らせる。 去年から準備してきた卒論は、大分形になってきた。 ゼミで中間発表した時の教授の反応も好感触だったし、これが完成すればまず間違いなく卒業できるだろう。 高校三年に進級した時点で、私は進学の意志があることを社長に告げた。 その後プロデューサーも含めて相談した結果、仕事を若干セーブし、且つ二年がかりで受験勉強をすることで、両立させることになった。 大学進学予定だということが知れると「いおりん、将来は水瀬財閥経営陣入り！？」などとスポーツ新聞に書かれたりしたが、それは全くの見当違いだ。 今のところ父や兄の仕事を手伝う気はない。私が大学に行きたかったのは、単に芸能界の外にも目を向け教養を深めたかっただけ。 但し、やるからにはお嬢様のお稽古事にするつもりはなかった。 だから希望の大学に合格したら芸能界の仕事も続けながらしっかり勉強して、五年かけて卒業するというのが当初からの予定だった。 事務所のバックアップもあって私の大学生活は順調に過ぎ、今度の春には卒業見込みで只今卒論を鋭意執筆中というわけだ。 「お〜にぎ〜り、お〜にぎ〜り」 そして呑気に歌いながら、山盛りの焼きおにぎりの皿を持ってきたコイツは。 かつては「未完のビジュアルクイーン」と呼ばれていたが、今やそのビジュアルは大御所写真家が是非撮らせてくれと頭を下げに来るほど完成の域に達している。 高校卒業後は仕事に専念しているのもあってメディアへの露出も増え、ビジュアル以外にも歌にダンスに演技にと、あきれるほどに才能を発揮し続けている。 「全部解凍しちゃったの！？」 「そーだよ。でこちゃんも食べるよね」 しかし深夜に女二人でおにぎり16個を食べられると真面目に思っている辺り、頭の中は中学生の頃のままなんじゃないかと思う。 「アンタ責任持って食べなさいよ」 とりあえず小腹が空いてるのは確かなので、私も一つ取って口に入れる。 「心配しなくても大丈夫なの。食べても運動すればいいんだよ」 「運動って、こんな夜中に何するつもりよ」 「でこちゃんとエッチな運動に決まってるの」 「ぶはっ！？」 これまでの私の人生に唯一誤算があったとすれば、それはコイツのことだ。 　　※　※　※ １４歳の時に初めて７６５プロで出会って以来、コイツは何かにつけ「でこちゃん、でこちゃん」と私にじゃれてきた。 でこちゃんはやめろと十年間口酸っぱく言ってきたにもかかわらず、一向にやめる気配はない。 成人を機に一人暮らしを始めたのとほぼ同時に、コイツとユニット活動をするようになったのがそもそもの間違いの元だった。 スケジュールが合うのをいいことに、なんやかや理由をつけては私の部屋に転がり込んでくる。 そして芸能界というのは、自分が何も悪くなくても傷つくことがままある場所だ。 そう。あの時も、今にして思えば些細なことが原因だったが、私はかなり凹んでいた。 それでも仕事中は意地で我慢して隠し、家に帰ってからうさちゃん相手に泣いていたら、当然のようにコイツが部屋に入って来た。 毎度毎度玄関を開けるのが面倒で、合鍵を渡してしまったのは実に不覚だった。 涙を見られたのに動揺して後ろを向いてしまったため一瞬しか見えなかったが、普段とは全く違う目をしていた。 あれは、本気を出した時の顔。 コイツは生意気にも、その日の仕事中から私の心境を見抜いていたらしい。 更に生意気なことに私を安心させる言葉をかけ、抱き締めて思い切り泣かせるというふざけた真似をした挙句、 「ミキは、でこちゃんのこと大好きだよ」とどさくさまぎれに告白しあまつさえ私に「そばにいて。お願い」などという恥ずかしい台詞を言わせた。 おかげで次の日から部屋にはコイツの私物が増え始め、私はベッドを買い換える羽目になった。 　　※　※　※ 「でこちゃん、お米を粗末にしちゃだめなの」 「アンタが変なこと言うからでしょ！」 「別に変なことじゃないよ？ハニー」 「ハニー言うな。私は卒論書かなきゃいけないんだから、まだ寝ないわよ」 「英文学もいいけど、ミキもね」 「おせちとカレーみたいなこと言ってんじゃないわよ」 「でこちゃん、したくないの？」 「そ、そういうわけじゃないけど」 「ミキはしたいよ」 ちょっと。やめなさいって。にじり寄ってくるんじゃないの。 「でこちゃんも……したいよね？」 全く、その目は卑怯だ。 その胸元も、髪も。触れたいと思わずにいられないじゃない。 その指も。触れてほしくないわけない。 でも口になんて出さないわよ、絶対。どうせ言わなくたって分かってるんでしょ。 どうしてコイツは普段ボケボケの癖に、私のことになるとやけに鋭いのか。 「そんなの、愛しているからに決まってるの」 だから、堂々とそういう恥ずかしい言葉を言うんじゃないわよ。 言うならもっと近くで、耳元で囁きなさいよ。 抱き寄せられて唇を重ねるまでの流れが自然で、もう何度もこうしてきたことを実感する。 舌を絡ませながらするりと服に潜り込んできた手のひらで背中を撫でられ、昂ぶってくるのが分かる。 まだ子供と言っていい頃に出会って。泣いたり笑ったりしながら、同じ時間を過ごして来て。 いつの間にか大人になった私たちは、互いに求め合うことを知った。 「ベッド、行こうね」 あの頃より少しだけ低くなった、しかし変わらず甘く響く声が、今度はちゃんと耳元で囁いた。 　　※　※　※ 間接照明だけにした寝室にあるダブルベッドに座り、もう一度口付ける。 初めは啄ばむように、それから深く。 美希の手が脇腹を滑り膨らみの裾野に達する。 周囲を撫でるだけのもどかしい動きに焦れて、私はキスで訴える。 もっと触って。強く。その先にある場所を。 そこで美希は一旦唇を離し、私の服を全て脱がせる。 そして手早く自分もパジャマを脱ぎ捨て、私に横になるようにうながす。 ――うんと、愛してあげるね。 優しい光を宿した美希の瞳が私を見下ろす。 ――来て。 私は返事の代わりに、彼女の頬を一度撫でた。 　　※　※　※ まさか、美希に恋することになるとは思っていなかった。 それ以前に、自分が美希に対してどういう感情を持っているか、まともに考えたことがなかった。 私の周りをうろちょろして、分かってるのか分かってないのか掴み所がなく、寝たり食べたり私の愚痴を聞き流したり。 そんな風に、いつも美希は自然に私の傍にいた。 あの日。 美希は泣いている私を抱き締めて、大丈夫、ミキがいるから、と何度も言った。 その温もりは私の中に染み込み、私の心を溶かして隠れていた気持ちを露にした。 気づいたのだ。 それまで、美希はからかったり茶化したりすることはあっても、私を傷つけるようなことは一度も言ったことがないことを。 好き勝手振舞っているようで、実は私のイライラも泣き言も、いつも受け止めてくれていたことを。 私は、それに応えられていただろうか。知らずに、美希を傷つけたことがあるのではないか。 そんな懼れは、「ミキはでこちゃんのこと大好きだから」の一言で払われた。 美希に、愛されたい。全てを、委ねてしまいたい。 私の気持ちは、恋に変わった。 　　※　※　※ 美希の右手が私の胸を包み、柔らかさを味わうようにゆっくりと揉む。 ――手のひらに当たってるの、分かるでしょ？ ――うん。もうこんなに感じてるんだ。でも、もっと感じてね。 頂を指先で擦られると、鋭い快感に声が漏れる。 元々高い私の声だけど、もっと高く、淫らな艶を帯びてしまう。 そんないやらしい声を出しているのが恥ずかしく、余計に乱れてしまう。 ――ミキはもっと聞きたいよ、でこちゃんの声。聞かせて？ もう片方の頂を舌で転がされると、耐えきれず腰が浮く。 ――感じてるでこちゃん、可愛いな。大好きだよ。 囁きながら、膨らみを大きな動きで揉み、そしてまた先端を吸われる。 その度に快感の波が押し寄せ、そして引く度に一層求める気持ちが沸き、私は美希の頭を強く抱き締める。 身体の感じる場所はみんな、『そこ』につながっているに違いない。 だって、美希の手が指が舌が動く度に、こんなにもストレートに響いてくる。 ――ねえ。もう駄目。 ――なに？どうしてほしいのかな？ ――お願い。焦らさないで。 ――どうしてほしいか、言って？でこちゃんのしてほしいこと、なんでもしてあげる。 意地悪なのに、優しい。だからもっと、美希がほしい。触れてほしい。 彼女の手を取って、『そこ』に導く。 ――ここ。こんなに、あんたを待ってるのよ。 熱い蜜に指が埋まり、ゆっくりとなぞるように動く。 それだけで達してしまいそうになるのを必死で堪え、強くシーツをつかむ。 その上の小さな、けれど一番敏感で切ない部分にもたっぷりと蜜をまぶして、優しく小刻みに刺激される。 「はぁっ！……んっ！……」 もう、息を継ぐのもうまくいかない。 ――キスマーク、つけるね。見えないところにするから。 指を動かしながら、胸の膨らみをきつく吸われる。 ――はい、ついた。これ見たら、思い出してね。 ――ミキが、でこちゃんの大事なところ触りながら、つけた印だって。ね？ またそんなことを言う。 あんたはどれだけ私を惑わせれば気が済むのよ。 　　※　※　※ 初めて抱かれた夜。 美希は恐る恐る、探るように私に触れてきた。その指先が、震えていたのを覚えている。 ステージでは緊張しているところなど見たことないのに。 うまくできなかったら、ごめんね。でも、一生懸命やるから。 そう言う美希の真剣な気持ちが、嬉しかった。 だから、私も全て与えようと思った。 全部、見るね。 そう言って足を開かれ、誰にも見せたことのない場所を露にされた時、死ぬほど恥ずかしいはずなのに、でも美希に見てほしい気持ちも確かにあった。 全てを曝け出すから、受け止めてほしいと。 美希はその部分に口付けをして、ありがとう、と言った。 好きな人に触れられるということが、心にも身体にもどれ程の悦びをもたらすかということを、その時私は知った。 美希が全国ツアーに出て一ヶ月近く会えなかった後に帰ってきた日の夜は、玄関先で美希の顔を見たら涙ぐんでしまった。 そのまま抱き締めてキスされ、何も言わず縺れるように寝室になだれ込んで激しく求め合った。 美希が風邪を引いて寝込んだ時は、ずっと枕元で看病した。 熱に浮かされても私を呼んでくれることが嬉しくていとおしくて、私の手を握ったまま眠る美希の頬にキスしたことを覚えている。 何度も二人で夜を越え、数え切れないくらいキスをし、触れ合ってきた。 　　※　※　※ 私の気持ちなどお構いしなしに、でも全て見通しているかのように微笑みながら、片足を抱きかかえて開かせ、美希の中指が進入してくる。 奥まで達して二、三度ゆっくり回してから一度引き抜き、薬指も加えてまた深く。 そして蜜を掻き出すように動き始める。 「んんっ……！美希、美希……」 指の動きに合わせて呼べば、返事の代わりに唇を塞がれる。 ――好き。好きなの。 今しか言えない言葉を、キスの合間の切れ切れの吐息に混ぜて投げかける。 規則正しいリズムで揺らされながら、金色の髪に指を絡める。 この髪の一本一本までもが愛しい。 一番奥まで埋めて、親指を敏感な場所に添えられる。 そこを押すようにしながら、中の指は少し曲げて、ある部分を集中的に刺激される。 「ああんっ！」 身体を貫く快感に悲鳴のような声が出る。 ――ここ、一番気持ちいいとこだよね。 ――そう。あんただけが知ってる場所よ。 ――うん。ミキだけが知ってるとこ。いっぱい、感じてね。 ――大好きだよ。ミキの気持ち、感じてね。 媚薬のように甘く囁きながら、指の動きは更に速くなる。 ――あんたが触れてるところ、焼けそうに熱いでしょ。それが答えよ。 ――うん、すごく熱いよ。こんなに感じてくれて、うれしいな。 ――もうそろそろ限界だよね。いきたいよね。 ――ミキで、いって。伊織。 ちゃんと名前で呼ぶのは、この時だけ。特別な瞬間。 私は美希にしがみつき、全身で美希を感じることだけに集中する。 ――好き。 ――好きだよ。 言葉が重なった瞬間、白い光がはじけた。 　　※　※　※ 「はぁ……」 文字通りやってしまった。 何が悔しいって、満たされているのが悔しい。 「でこちゃん、可愛かったの」 元凶は、満面の笑みで擦り寄ってくる。 汗を浮かべた滑らかな肌をぴったりくっつけて、頬に何度もキスをしてくる。 そうされて気持ちいいのが、やっぱり悔しい。 このまま眠ってしまいたいのは山々だけど、そうもいかない。 今日中にあの章だけでも書き上げなければ。あと一時間も頑張れば終わるだろう。 心地良い気だるさに包まれた体を無理やりに起こし、下着だけ新しいのに替えて、脱ぎ捨ててあった部屋着を身に着ける。シャワーは明日の朝にしよう。 「でこちゃん、まだ寝ないの？」 「もう少し、切りのいいところまでやるわ」 「ふーん。じゃ、ミキもまだ起きてる」 のそのそとベッドから滑り落ち、パジャマを着始める。 「あんたねえ。努力はもっと建設的なことにしなさいよ」 「頑張ってるでこちゃんを見守るのは、十分建設的だと思うな。 　あ、そういえばおにぎり食べるの途中だった。あっため直してくるね」 「運動した後に食べたら意味ないじゃない」 「あはっ。そしたらまた運動すればいいの」 「何よその永久機関」 さっきまでのムードはかけらもない。結局これが地だ。 すべて世は事もなし、か。詩の一節が浮かぶ。 あのぐうたらを神様に例えるつもりはないが、美希といれば平和で、そして幸せなのは確かだ。 これまでも、多分これからも。 ＜了＞